やる気さえ出せば、僕は何でも出来ると信じている。
僕にとって、やる気やモチベーション、
動機づけと言った類のものは、
車にとっての燃料みたいなものだ。
そしてそのやる気というのは、
僕が興味を持てるかどうか、
ただその一点のみにおいてゼロイチで決まる。
僕は、そこそこ興味を持てるものですら、せいぜい数時間で飽きてしまう。
本当に興味を持てるものは、10年以上は飽きない。
そして、言い換えれば、
興味のあることというのは、
僕の「やりたいこと」だ。
僕は小学校5年生以降、
常に何か「やりたいこと」を持っていて、
それ以外に何もできない人間になっていた。
そんな自分は嫌いじゃないが、最近思うのは、
若いうちはそういう「やりたいこと」なんて、
実はない方がいいのかもしれないということだ。
なぜかというと、
ビジネスパーソンとして生きる場合、
起業や独立以外に最初から選択肢がなく、
厳しい道を歩まざるを得なくなるからだ。
独立せずに人様の企業に所属する場合、
人様から与えられるミッションがあり、
往々にしてそこには自由がないことが多い。
この中で、やりたいことを持っていて、
それを主張する人間はほぼ確実に叩かれる。
「能力もまだないのにワガママ言うな。まずは言われたことがちゃんとできるようになれ」
「やりたいことをやりたければ、成果を出してからにしろ」
まあ、大体言われることはこんな所だ。
僕はこの手のことはほぼ全て言われてきた。
環境との組み合わせが最悪なので、
常に環境に対する不満ばかりを言いたくなり、
素直に取り組むことが困難だ。
頭では、
「そんなことを考えるのは時間のムダなので、
素直に従って成果を出すことにコミットするべきだ」
というのは、死ぬほど分かっている。
だが、人間は感情の生き物で、
納得ができない限りはそれに従いたくない。
自分の信念を殺してまで人に従いたくないのだ。
従った瞬間、自分のやりたいことを否定したことになり、
自分の価値観を否定していることになる。
自分のアイデンティティを否定してまで、
人や組織に従うべきだとは思わない。
でも、組織に所属するということを考えると、
相手の主張も、組織の一員としての義務も理解できるので、
反論はできない。
それが分からないほど人はバカじゃない。
だから、組み合わせが悪かったと考えるしかないのだ。
怒られるたびに、落とし所として毎回その考えにたどり着くが、
それを言うことももちろんできず、
一方で「今すぐ退職する」と宣言する勇気もない。
時間だけがいたずらに経過し、何も成長しない。
日々不満だけが積もる。
何千回かこれを繰り返した頃、
ある日爆発したように「退職する」と言い出すか、
ある人は鬱になって休職する。
(僕は幸いメンタルは弱くない方だったので、半分鬱ぐらいで済んだ)
こういう僕みたいな人は、
顕在化していないだけで、
それなりの数はいると思う。
この一方、やりたいことがない人というのは、
素直に組織のミッションに従うことができる。
素直に従うから組織でも可愛がられるし、
ちゃんと本気で取り組めるので成長も早い。
そうやって成長する中で、力をつけた頃に、
やりたいことを見つけてそっちへシフトしていくことができる。
どう考えたって、やりたいことが明確にある人は、
それが確実にできる企業や職場に行けないかぎり、
損をする構図になっているのだ。
だから、僕は若い内には、
やりたいことなんか無い方が、
若い時間をムダにしないで済むからよいと思う。