受動的な能動的現代人

また矛盾したようなタイトルになってしまった。

今日ふと思ったのだが、僕たちが日常的に何の気なしにインスタグラムやツイッターを開いてコンテンツを読んだり、広告をクリックするのは、果たして能動的なのだろうか。

一般には、テレビは受動的なメディアと言われている。それは、放映時間や視聴できるコンテンツが放映側によって強くコントロールされており、視聴者に自由がないからだ。

一方的に垂れ流すというニュアンスで、受動的ということだ。

一方、昨今はインターネットの発達で、能動的に情報を取りに行く時代だ的な話をよく聞くが、まあ、確かに検索して見つける分にはそうだろう。

しかし、インターネットの黎明期こそ、検索がメインで能動的だったのだろうが、今のスマホをいじくる現代人の有り様は全く能動的に見えない。

自分の本能や嗜好性、習慣によって自動的に運転され、自動的に流れるコンテンツを消費している様子は、どう見たって受動的だろう。

まあ、フォロワーを「選び」、コンテンツを「選んで」いるので、100パーセント受動的とは言えないかもしれないが、じゃあ、その能動性は、テレビのチャンネルを選ぶのとどれほど違うというのだろう。

現代は、過去に比べて能動的に情報や環境をコントロール出来るようになったと思われるが、実は選択肢が増えただけで、能動的か受動的かという部分は殆どの人は本質的には変わっていなくて、ただ、コンテンツを垂れ流して受動的に生きているように僕には思える。

変に能動的に、主体的に生きていると思うのは簡単だが、その実、実は悪しき習慣や自分の嗜好性に操られて時間を消費しているのが現代人の実態だとすれば、本当に自分は能動的に情報を選び、生きているのか、今一度問いかける必要があるんじゃないだろうか。

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