ビジネス

市場価値の高い人間を目指してはいけない

なぜか。

答えは簡単だ。

市場に自分を合わせにいっている時点で、他人の土俵で戦うことになるし、それは競争を意味する。

そして、競争するからには勝つ必要がある。


競争とは疲弊を生むことにほかならない。

その先に待っているのは文字通り死だ。

別に能力が高くて、しんどい競争が好きで、実際にその競争を勝ち残れる人なら何も問題はない。

だが、僕みたいな凡人はそういう戦い方をすると、すぐに負けるし、精神が持たない。

もっと楽して稼ぎたい。

じゃあ、そんな凡人はどうするべきかというと、自分で市場を作ればいい。

難しいように聞こえるが、これはスタートアップとかの話とは規模が違うから、そんなに難しくない。

最近少し流行りのモテコンサルとかはそのいい例だ。

人一人が生きていく市場なんて、そんな大きくなくていいのがミソだ。

人々のニーズに応えることは本当に世界をよくするのか?

平たく言い換えると、売れるから売るという行為は本当にいいことか?ということだ。

ビジネスの存在意義は、世の中をより豊かにすることにある。

お金が儲かるのは、その豊かさを人々に提供する対価を受け取るからだ。
(起業家のモチベーションがお金にあるとかは全然構わないと個人的に思っている)

しばしば勘違いしがちだが、人は必ずしも本質的に豊かになることにお金を使わない。

わかりやすさのため極端な例で恐縮だが、

ギャンブルやアルコール中毒の人がお金をギャンブルやお酒に費やすのは、本当にその人を豊かにするためだろうか。

度が過ぎた肥満の人が、過度に糖質を含む食品を買うのは、本当にその人の今後の人生を豊かにするだろうか。

もう少し微妙な事例がある。

水素水というものが数年前から流行っている。最近はジムなんかでもよく置いている。

だが、健康へのプラスの影響は立証されていない(らしい)。

マイナスイオンドライヤーもそうだ。

マイナスイオンというのは、電気的に中性の原子がエネルギー的により安定するために、マイナス荷電の電子を取り込んだ状態のことだ。(中学3年生の知識なので、本来であれば義務教育を受けた全国民が教養として知っていることである)

特定の原子のことではない。

だが、どの商品を見ても、なんの原子がイオン化しているのか説明はないし、そのイオンがなぜ髪にいいのかも化学的な説明もない。

(※一応断っておくと、これらの事例が実際に正しいかどうかはここでは大した問題ではなく、重要なのはそういう事象があり得るとい
う可能性の方だ)

モノやサービスというのは、本当にそれに価値があるから売れるのではなく、

正確には人がそれに価値があると感じるから売れる。

つまり、本当は価値がないけれど人が価値があると感じてしまえばそれは売れることになる。

この現象はまるで詐欺のようだ。

ブランドのロゴのように、人が価値を感じる事自体が価値となることもある。

それは人が価値観で決める部分を豊かにしているから全然構わない。

だが、上記の例のような物理現象をはじめとする、人の価値観で効果が決まらないものに関しては大問題だ。

本当はよくなってないのに、よくなったと錯覚するために人はお金を払うのだ。

やっぱりこれは詐欺と同じだ。違うのはものやサービスを提供する側に悪意があるかどうかだけだ。

世の中への影響という意味では詐欺と何ら変わらない。

殺人をした人が意図的であろうとなかろうと、死んでしまった人とその遺族にとっては大した問題じゃないのと同じ構図だ。

見方によっては、その人が幸せと錯覚していようが、幸せを感じるならそれでいいとも言える。

僕はその価値観は否定はしない。

だが、もし本質的な解決が可能なのであれば、そして人がそれを選ぶことができるのであれば、本質的な解決を選ぶべきだと思う。

人が勝手に誤って購入してくれるから、という理由で売れてしまうものは世の中に存在してはいけない。

少なくとも、メタな視点で問題を認識している事業開発側の人間は、情報の少なさ故正しく判断ができない消費者と違い、その責務を負っているという自覚を持ってビジネスを作っていくべきなんじゃないだろうか。


論理的思考の限界〜論理的思考は本当に説得以外に使い道はないのか〜

人気シリーズ「論理的思考の限界」の第四弾。

過去の関連記事はこちら
論理的思考の限界
論理的思考の限界〜意思決定を論理的に行うとハマる罠〜
論理的思考の限界〜なにかをする理由、しない理由〜


僕の中でそれなりの答えが出たので、整理しておく。

論理的思考の限界〜意思決定を論理的に行うとハマる罠〜でも説明したように、
論理的思考はその性質から、他者への説得ツールだと割り切ってもいいかもしれない、
というのがメタップス佐藤さんの論旨だった。

重箱の隅をつつくような話に聞こえるかもしれないが、
僕はこの考えに概ね賛同しているものの、違和感もあった。

例えば、今ある場所に急いで、なるべく安く行きたいとする。


そして、その行き方が2通りあるとする。

一つは、有料で1時間かかる。
もう一つは、無料で30分かかる。
料金とかかる時間以外の条件が完全に同じだとして、
どちらの道を通るべきか。

まあ、普通に考えれば後者をとる。

これは論理的に考えた結果だし、
誰にとっても最善の選択であることは疑いの余地がない。

このように、論理的に考えて正しい意思決定が出来る場面もある。

つまり、論理的思考は意思決定に使うのは危険だ、というのは前提がある。

その前提は、意思決定の対象の抽象度が高く、

人間が認識できない思考空間が存在する(=対象が大きい)ことだ。

その意味で、論理的思考は抽象度の低いものに対しては完全にワークするので意思決定に利用できるが、

抽象度の高いものに対しては意思決定に利用するべきではなく、
相手の説得など他の目的に使われるべきだということが言える。

じゃあ、僕たちは対象が大きいものに対してはどう意思決定するべきなのだろうか。

この議論に対しての答えが、パターン思考だというのが僕の考えだ。

世の中の構造はフラクタル構造であるため、
ある領域で観察された現象が他の領域でも起きる。

例えば、かつてPC市場を席巻したマッキントッシュは、
オープンソースのWindowsに取って代わられた。

これは近年モバイル市場でも同じことが起きていて、
最初にiPhoneが市場を形成するものの、
オープンソースのAndroidが市場をとった。

モバイル市場の未来予測というのは、あまりにも抽象的で、一つ一つの要因を調べて結果を導き出すのは複雑過ぎて誰にもできない。

だが、パターンとして捉えた瞬間に、その複雑性を無視して、確度の高い予測が出来る。

また、このパターンというのは、統計的なアプローチと系統は同じで、
「理由はよくわからないが、そうなるはずだ」という主張の仕方をしている。


ある意味論理的ではないが、
怪しげな結論ありきのファクト(確証バイアス)集めをするよりは、全然価値のある考え方だと思う。


皆さんにとっての論理的思考の取り扱いの一助となれば幸いだ。

初めて受託開発をして学んだこと

めちゃくちゃ久しぶりの更新になってしまった。

近況は改めて記事にしようと思うが、簡単にいうと、今起業とフリーランスの二足のわらじ状態になっている。

自社はちょうど登記の準備中だが、僕が大変お世話になっている先輩と一緒に勢いで作ることになった。

僕の人生はいつもこんな感じで、計画性は特になく、思いつきとノリと勢いでやってきたので、まあ、会社もそんな感じで作っちゃって丁度よかったのかもしれない。

未来のことなんて分からないし、計画なんて立てようがないのだから、今面白いと思うことだけを一生懸命やるしかないのだ。

今回は人生初の受託開発案件を通して、案件の難易度の割に予想に反していろいろと学びがあったので、書き残そうと思う。

これからフリーランスになるとか、受託開発やろうという人に少しでも参考になれば幸いだ。

概要

受託開発をする目的

  • 受託開発の実績を積むこと

  • 技術的には簡単なフロントだけのページを作ることで、受託開発の体感難易度を計測すること

案件の内容

  • 某企業様のプロダクトのLP作成

  • フロントだけで完結するページ

  • PC版とモバイル版の両方

振り返り(技術面)

よかったこと

  • 構造化が得意なことがコーディング内容に表れ、結果としてメンテナンスがしやすいコードが書けた。

  • cssで理解が曖昧だったもの(positionやアニメーション)について理解を深めることができた

  • 印刷機能やメディアクエリ、フェイスブックタグなど、新しい技術を獲得することができた

悪かったこと

  • 作っていく中で、運用が簡単になるhtmlの構成ルールが自分の中で出来ていったので、最初にコードを書いた部分の手戻りが結構発生した。

振り返り(ビジネス面)

よかったこと

  • 納期を守れた

  • 改善案の提案がいくつか出来た

  • 受託開発の流れを理解することができた

悪かったこと

  • 納期が迫るまで手がつけられず、直前に猛烈に焦って作ることになった→学生のときからの悪い癖だが、自分でやると決めたことであれば、なんだかんだ毎回なんとか出来ているので、あんまり直す必要はないかも

  • 印刷機能などの触れたことのない部分の工数の見積が甘く、スケジュールを圧迫した

    →今後、触れたことのない部分は簡単に調べて工数を把握する

  • psdファイルからコーディングへの落とし込みの部分で、仕様の確認を怠り手戻りが発生した

    →今後は丁寧に確認する

学び

技術面

  • ヘッダーやフッターなどの修正が入った時、ページすべてに修正をかけるのがしんどい。Viewを扱うフレームワークがいかに便利か分かった。

  • cssなどを生のコードで管理するのが面倒だということに気づき、タスクランナーの重要性が分かった(今回はgulpを簡単に導入)

ビジネス面

  • 今回のような誰でもできる仕事は付加価値が小さく、とても収益性が悪い。今後は自分の高度な思考力が活かされる付加価値の高い仕事をする。

  • フリーランスは会社の仕事と違って、一度やってみてできるようになったら、それはもう二度とやらないで次に進むという選択ができるので、新しいスキルを身につける効率がよい。(ただし、それはスキルが足りずに炎上するというリスクと引き換えのメリットでもある)

総括

受託をやっていると、世の中に対して思考する時間が減ってしまいが
ち。

足元のキャッシュを稼ぐことも必要だが、自分のビジネスの優先順位を下げずにコントロールしていきたい。

あと、もはやこれは確信だが、昔から疑問に思っていた、企業が採用広報なんかでよく言う「成長」というやつ。

もしビジネスパーソンとしての成長がしたいなら、自分でやることに勝る成長方法はないと思う。

そんなに人を成長させたいのなら、起業しろって言うべきじゃないだろうか。

スタートアップワールドカップ日本決勝戦に行ってきた

今日、僕の友人Nと一緒に行ってきた。

決勝戦と言いながら、
この後世界大会で勝たないと出資されないので、
まだ先は長いのだが。

僕達がここに行った目的は、
世界で勝負するビジネスのレベルを最前線で見てくることと、
それに対して感じることを議論し、互いの選球眼を確かめるためだ。

決勝には10社が参加していた。

各社の説明なんかはこちらの記事に譲るとして、
僕からはその場で感じたことを備忘録的に書き記す。

英語が重要

まず、プレゼンテーションは英語で行われるが、
英語でプレゼンテーションが上手くできていたのは、内三社だけだった。

英語が分かる人ならプレゼンテーションを聞けばなんとなく分かるだろうが、
この三人はある程度自分で英語が話せる人たちだ。

ここのハードルが高かったのか、
英語のプレゼンテーションが一番下手だったMebiol社は、
非常に面白くてポテンシャルの高いプロダクトで、
個人的には最も優勝に近いものだと感じたにもかかわらず、
優勝することができなかった。

英語で話せるというのは、グローバルビジネスを展開する上でやはり重要ということだ。
まあ、当たり前か。

投資家(審査員)が気にすること

これは界隈では当たり前かもしれないが、
審査員の質問やプレゼンテーションを聞いていて、
以下のことを気にしているのだと感じた。

・マーケットサイズ
・組織メンバー
・ビジネスモデル
・どのように使われるのか

まあ、これも言われれば当たり前か。

ビジネスの選球眼

極めて上から目線の私見だ。

僕と友人Nは三社まで絞るところは同じだった。
・Seven Dreamers Labolatories(自動洗濯物畳み機)
・Mebiol(農耕用の水と栄養だけを通すフィルム)
・Empath(声から感情を読み取るAI)

僕はあくまでビジネスとして投資をする、
という観点でMebiolが最も有力だと考えた。
フィルムを使うだけで非常にいい作物ができるそうだ。
それがたとえ砂漠でも。
いや、むしろ砂漠のほうがいいとCEOは言っていた。
非常に面白いアイディアで、市場も大きい。
英語でのプレゼンテーションは最悪だったが。

他の二社はプレゼンテーションが上手く、
ビジネスとしてもスケールしそうだったが、
Mebiolに比べると、ちょっと意外性がないというか、
普通というか。
もちろんすごいのだが。

結局、Mebiolは副賞的なのは受賞していた(それでも投資額は50M円)が、
優勝できたのはSeven Dreamers Labolatoriesだった。

噂によれば、やはりMebiolは英語のプレゼンテーションがネックだったらしい。
逆に、それがなければ勝っていたかもしれない。

僕たちは、素人なりにも審査員とほぼ同じ結論に至った。

これは昔に比べれば、多少なりとビジネスを見る目が肥えたと言えるのかもしれない。

次は自分の番だ。

「別に競合に勝つ必要なくないですか?」と彼は言った

ある人材業界の知り合いが言っていたことだ。
部署で物議を醸したのだと言う。

競合を倒すことに燃えている人を、
思いっきり逆撫でする言葉なのは僕も分かっているが、
冷静に考えてみてほしい。

本当に競合に勝つ必要があるのか、と。

Zero to Oneでピーター・ティールも言っているが、
競争というのは破壊的な行為であり、
資本をもとに発展を目指す資本主義とは対極の概念だ。

競争すれば、長期的に利益をゼロにしてしまうのだ。
そして、利益以上に組織に与える疲弊が最も悪影響だと言っている。

僕はこれを知ってかなり衝撃だった。

競争は是だと思っていたからだ。

確かに、競争は価格の低下を生み、
より安いサービスを提供を可能にする。

が、これは企業の利益が薄くなっていること、
従業員の給与が一向に上がらないことの裏返しだ。

短期的には商品価格の下落の方が早いから、
得するように思えるかもしれないが、
長期的には商品も安いが給与も安いという状態になる。

これはこれである意味平衡状態としていいように見えるかもしれないが、
相対的に豊かでなくなっている。

考えてみればすぐ分かることだが、
実は、独占しているからと言って、
価格が釣り上げられるとは限らない。

だって、あなたが今使っている検索エンジンは、Googleの寡占状態だ。

だけど無料だ。

ピーター・ティールの言葉をそのまま借りれば、
独占が悪になり得るのは、変化が一切ない世界においてのみなのだ。

競争は利益追求に奔走し、組織の疲弊を生むが、
独占は収益に余裕があるので、組織の創造性を生む。

競争はただの破壊行為で、非生産的なのだ。

これを知ってからというもの、
僕は世の中はいかに不毛な企業で溢れているかに気づいた。

全くサービス内容に差がないものを、
しのぎを削って市場シェアの奪い合いをしている。

一体何が目的なんだろう。

企業は社会をより良くするために存在する。

「打倒●●社!」とか、
「目標シェアNo.1」とか掲げているのを見ると、
競合を倒すことが目的になっているような気がしてならない。

顧客がどっちを使えばいいのか、
即答できないような似たような価値を提供するのであれば、
そういう企業は全部合併してしまうといい。

同じ価値を社会に提供するのなら、一緒にやればいいのだ。

そうすれば、市場も独占できて、
いちいち競合を気にする必要がなくなり、
新しい価値を創造する余裕ができる。

もしNo1を目指すことが目的なのだとしたら、
それは顧客を無視したただのエゴだ。

ちなみに、ピーター・ティールとイーロン・マスクは、
若くして競争の破壊性を理解していたので、
会社を統合して今のPayPalを作った。

この延長線として僕は理解しているが、
メタップスの佐藤さんも、Googleのラリー・ペイジも、
競合を見る必要はないと言っている。
そんな不毛なことに時間を使うのなら、
顧客を向いてより良いものを考えた方がよほど生産的だろう。

今の日本にイノベーションは本当に必要なのか?

イノベーション礼賛時代とも言える昨今、
日本においてイノベーションが起きていないとも言われて久しい。

この状況を僕はつい最近まで、
好ましくない状況だと思っていた。

だが、本当にそうだろうか?

この問いを投げかけられたのは、
またしてもMetaps佐藤さんの書籍だった。

以下に記す内容は、
佐藤さんの著書、『未来に先回りする思考法』の内容の一部を、
僕が解釈してまとめ、僕の意見を付随させたものだ。

さて、イノベーションがなぜ起きるかというと、
それは必要だからだ。

過去の発明品を見てみれば、そのことは明らかだ。

ミサイルの軌道を正確に予測するためにコンピュータが生まれ、
爆発的な破壊力のある武器の開発のために核技術が生まれ、
冷戦下での不備のない情報システムのためにインターネットが生まれた。

これらはどんな必要性だったかというと、
人間の最も強い欲求の一つ、生存の欲求だ。

人間は生き残る必要性に迫られて、
イノベーションを起こし、技術を発達させ、
経済を豊かにしてきた。

そう考えてくると、日本でイノベーションが生まれない理由も自明だ。

生存の必要に迫られていないからだ。

これは、ある意味すごいことで、
それだけ豊かで平和な国だということと同義だ。

そんな中で果たして本当にイノベーションは必要なのだろうか?

日本人が生存に対して鈍感になってしまっているだけだろうか?

国家と企業の境界が、テクノロジーの進歩によって溶けてきた今、
「イノベーションは本当に必要か?」という問いに答えるには、
どの立場で考えるかによって答えは異なる。

簡単な例で言うと、遊牧民族にとってイノベーションが必要かというと、
彼らからしてみれば、今のままで十分幸せだし生きていけるので、
答えはNoだろう。

そしてその延長線上が今の日本なのかもしれない。

その点において、もしかしたら必要性の観点から、
日本という国家にとっては、イノベーションは必ずしも必要ではないとも言える。

一方、
国土が小さく資本を元にした経済的な豊かさが必要なシンガポールや、
戦のためにいつ国家が滅んでもおかしくないイスラエル、
世界的なポジションをキープし続けなければならないアメリカ、
こうした国々にとっては依然として文字通り死活問題だ。

さらに、実は世界という単位で考えると、
イノベーションは不可欠だ。

イーロン・マスクが火星への移住計画を考えたりしているのは、
このままのテクノロジーのレベルでグローバルに水平展開していったら、
資源が枯渇することが見えているからだ。

そうならないためにも、もっと効率よく資源を使うテクノロジーのイノベーションが必要だし、
そうなってしまう前に、地球外に住む場所を確保することが必要なのだ。

全然大げさな話じゃなくて、
世界の起業家たちは、本当に人類絶滅の危機と戦っているのだ。
(そういう起業家を日本で見かけたことはほぼない)

このように、どの領域、規模に対して、
自分が問題意識を持つのかによって、
イノベーションの必要性への意識は全く変わってくる。

イノベーションが必要だとあなたが思うとすれば、
それは何のためなのか?

イノベーションを起こすこと自体が目的化してしまっている気がしてならない。

「イノベーションが起きなければ、●●は●●という最悪の事態に陥ってしまう」

もしイノベーションを起こしたいと思っているのならば、
この文言を心の底から言えるようになっていなければならないと僕は思う。

母校へ原体験探しに行った話【小学校編】

前回の中学高校編の翌日、
僕は自分の卒業した小学校に足を運んだ。

目的は変わらず、事業の軸になるような自分の原体験を見つけることだ。

実家から徒歩わずか3分の場所にある母校は、
普段から帰省時に外からはよく見ていたので、
特別懐かしい気持ちになることはなかった。

この日、偶然学校の門が開いていたので、
校庭を歩くことができた。

久しぶりに入った構内はやや小さく感じられたが、
大きく変わった場所はあまりなく、
教室すら当時と変わらない形のままだった。

しかし、肝心の当時の記憶は僕の期待通り、
全くと言っていいほど思い出すことはできなかった。

ただ、やはり中学高校と変わらず、
一つだけ確かなことがあった。

僕は小学校の頃から、
自分がやりたいと思ったことは、
一生懸命取り組んできた。

陸上大会や駅伝大会、そして中学受験。

要領が良い方ではなかったが、
不器用ながらもちゃんとやっていたようだ。

残念ながら、取り組んだもので、
飛び抜けた結果を残したものはなかったが、
それでも、親に言われていやいややっていたピアノなんかよりは、
雲泥の差がつくぐらい成果は違っていた。

そして僕のこの生き方は、20年以上変わっていない。

やりたいことをやると一度決めたら、
それに全力投球する。

やりたくもないことには全く本気になれず、
怒られることしかできない。

我ながらもう少し器用に振る舞うことができてもいいと思うが、
まあ全力投球した領域では、割りと満足してきたので、
これから変える必要もないと思っている。

特に、やりたいことや好きなことを武器にしないと、
むしろ生き残ることが難しい今の世の中、
自分のような不器用なハマり症の人間は、
案外有利なんじゃないかとすら思っている。

少し話が逸れてしまったが、
総括すると、

僕みたいな若干偏りのある人間が、
もう少しのびのびと生きられる社会になればいいな、
ぐらいのことは昔からうすうす感じていたようだ。

抽象度が高すぎて事業に落とし込むには困難だが、
一方で今どきの起業家は、これぐらい大きなビジョンを描けないと、
むしろ器が小さいと思われて期待されない節もあるので、
これも特に悪いことでもない。

今度は9月に、大学のときの友人Hと、
一緒に当時の二箇所のキャンパスを巡る予定だ。

自分で少しは物事を考えられるようになった年齢だけに、
少しだけ期待している。

母校へ原体験探しに行った話【中学・高校編】

僕は、2017年8月15日の昼下がりに思い立ち、
実家から約45分かかる久しぶりの母校へ向かった。

目的は事業の軸になるような自分の原体験を見つけることだ。

僕は田舎の私立の中高一貫校に通っていた。

当時を完全に再現するべく、
実家の朝の起床や身支度からスタートした。

朝気づいた違いは、ケータイの有無。

僕の母校は校則が厳しく、
携帯電話を学校に持ってくることは校則違反だった。

持ち歩く貴重品は財布のみ。

いつも出発ギリギリでバタバタと準備して、
走って電車に乗る。

学年を経るごとに電車の時刻は遅くなり、
大学受験直前が一番遅かったのを思い出した。

時間が守れないのはずっと昔からだ。
ギリギリ遅刻するか、余裕すぎるかのどちらかしかできない。

通学は基本的には一人になることを好んでいた。

自分の思考の世界に浸れるからだ。

気の合う友達と一緒に話すことも好きだったが、
それ以外の誰かと一緒にいることは苦痛でしかなかった。

何を話せばいいのかが分からなかったからだ。

何を話したらいいのか分からなかった僕は、
中学一年生のとき、自分が一番話しやすかった自分の話をした。

だが、人々の反応はいまいちだった。

逆に、人に自分の話をされたとき、
僕はあまり興味が持てず、
それが延々と続くときは苦痛すら感じた。

こうして、中学一年生のときの僕の一番大きな学びは、
人は基本的に自分の話をするのが大好きであり、
逆に人の話を聞かされるのは苦痛だということだった。

これに気づいて以来、
僕は自分の話をすることを避けるようになり、
するとすればオチのある話か、
相手にとって価値のある話に絞るように心がけるようになった。

中学一年生での気づきにしては、なかなか上出来だった。

そんなことを思い出しながら歩いていると、
気づけば懐かしい学校の正門に到着していた。

緑の匂いが、真夏の太陽の下でテニスをしていた当時を思い出させる。

部活の試合中にテニスラケットで頭をぶん殴られ、
お前は人間としてゴミだ、と理不尽に怒られたことすら懐かしく思える。

正門を通り過ぎて校庭を歩き回ったが、新しくできた校舎や建物も多く、
当時を回想するには少し変わりすぎていた。

数少ない、僕の記憶にあった場所はかなり古くなっていた。

卒業してからおよそ10年も経過したのだ。

時間の流れの速さに改めて驚いたが、
きっとこれからの10年はもっと早いのだろう。

結局、場所を巡ることで新しいことを思い出すということはなく、
思い出したといえば、その場所に紐付いた些細な出来事ぐらいだった。

「自分は実は高尚なことをよく考えていた人間なんじゃないか?」

こんな期待が少なからずあったが、
ちゃんと思い出してみるとやっぱりそんなことはなく、
あのときは、残念ながら大して何も考えていなかった。

勉強も部活も人間関係もすべて。

目の前のやることでいっぱいいっぱいで、
だけれどそのやることを一生懸命やっていた。

それ以上でもそれ以下でもない。

もっといいやり方を考えたり、人と議論したり、
ネットで調べることもできたはずだったが、
自分の中ですべて完結し、だが常に改善を実行していた。

勉強と部活だけを頑張っていれば文句を言われなかった当時。

「あのときの自分の方がすごかったんじゃないか」と思うあなたが知っておくべきたった一つのこと
にも書いたように、当時僕達が参加していたゲームは、
やっぱりシンプルで簡単だった。

校舎を眺め終わって帰ろうとした間際、
一つだけ重要なことを思い出すことができた。

僕は当時の成績は、自分で言うのもあれだが結構良い方で、
上位10%ぐらいには入っていた。

だが、とある休み時間に、ある友達が勉強をやっているのを見て、
「やばい、浮かれていたらすぐに抜かれる!」と強烈に思ったことがあったのだ。

その友達は成績は僕と逆で、下から10%ぐらいだった。

傍から見れば、まず逆転されるようには思えないのだが、
当時の僕には、全くそうは思えなかった。

今思っても、これはあながち勘違いでもなくて、
頭のスペックとか、日々やっていることで生じる差というのは、
実は大したことがない。

だが、その差を毎日つけ続ければ、やがて大きな差になる。

これは、僕にとっては大きな希望的発見だ。

僕が今到底敵わないと思っている偉大な起業家たちに、
日々の積み重ねでなんとか追いつけるかもしれないからだ。

この当たり前のことに気づいた僕は、
少しだけ心踊った。

ーそして結局この日、僕は

・ケータイによってスキマ時間が埋め尽くされるようになったこと
・当時は目の前のことをとりあえず一生懸命やることができていたこと
・日々の積み重ねが大きな差になること、

こんな3つの当たり前の発見を除いて、
他に新しい何かを見つけることはできなかった。

特に、事業の軸になるような、
僕がいつも問題意識を感じるようなことは見つからなかったのは残念だった。
強いて言うなら、やりたくもないこと(=古文なんかの実用性の低い勉強)をやることは、
やはり無駄だと当時も今も思うといったところだろうか。

さて、明日は小学校に行くことになっている。

比較的最近の高校時代ですら大して思い出すことはなかった。
小学校にはあまり期待できそうにもない。

そもそも僕は過去を振り返るのはどちらかと言えば嫌いで、
未来のことを考える方が好きだ。
過去に囚われて前に進んでいない感じがするからだ。

だが、後一日だけ、前に進むために過去を振り返ろう。

そう思いながら、僕は帰路についた。

【追記】
ちなみに僕は受験勉強を「頑張った」ことは一度もない。
割りと楽しんで自分の目標に向かって毎日好きなように勉強していただけだ。

もちろんしんどいときもあったが、
それを乗り越えるときの感情は「しんどいけど頑張ろう」というよりは、
「超えたいからやろう」という表現の方がしっくりくる。

「面白いことややりたいことを楽しんで本気でやっていれば、勝手に後から結果が出る

これは、僕が大学受験という、
ビジネスに対しては無価値で不思議な風習から得た、
僕の人生で最大の学びでもある。

逆にいえば、頑張っているような人は、
それを心から楽しんでいる人には一生勝てない。

僕は心底そう思っている。

だから、やりたくないことは一生やらない。
そう決めて、僕は自分でビジネスができるようになるため、起業するのだ。

やりたくもない、面白くもないことを、
大人や会社の都合で押し付けられなくても良い世界、
これは事業の軸とは言えないまでも、
僕が実現したいことというのは、これからも変わらなさそうだー

母校に原体験を探しに行った話【目的編】

自分にピッタリの起業案の軸を見つけるため、
自分の過去を振り返ることにした。

本心では、別にきれいなストーリーが必ずしもなくてもいいし、
面白くて自分が頑張れるものであればなんでもいいとすら思っている。

もしも毎回そんなにストーリーが必要なのであれば、
世の中にシリアルアントレプレナーは存在しないことになる。

ある意味、消費者にとって便利で売れるものであればなんでも良いのだ。

だがその一方で、ストーリーがないよりはあった方がいいのも確かだ。

例えば、
何の脈絡もなく、医療ビジネスをやりたいと言う人よりも、
自分が医療現場を目の当たりにしたり、
患者として問題を感じている人の方が、
より当事者として強烈な問題意識とビジョンを持つことができる。

これは、仲間集めにも、資金調達にも有利だ。

ということで、前回の転職活動以来、
久しぶりにやってみることにした。

そして、過去の原体験探しと決定的に違うのは、
その場所に足を実際に運んだことだ。

その場のリアルな五感の情報、
特に嗅覚はその場であらゆる記憶を想起することに役立つと考えた僕は、
この夏の休暇を利用して、僕の実家、小学校、中学校、高校と行ってきた。

大学は9月に行く予定だが、
まずは小中高についてまとめることにする。

続きはまた次回。