仕事の哲学

論理的思考の限界〜なにかをする理由、しない理由〜

人気シリーズ「論理的思考の限界」の第三弾だ。

参考
論理的思考の限界
論理的思考の限界〜意思決定を論理的に行うとハマる罠〜

前回の論理的思考の弱点から言って、
何かをしようと意志決定する際、
論理的な理由付けを行うことには大して価値がないことが分かる。

なぜなら、人間は全ての理由を思いつき、
その理由の正当性を完全に正しく、
評価することなどできないからだ。

今日友達に会う、ということに関しても、
実は理由付けは困難を極める。

まず、会う理由はいくらでもある。
・会いたいから
・近況を聞きたいから
・自分が知らない情報を持っているから
・その場で盛り上がって楽しいかもしれないから
・新しい仕事を一緒にすることになるかもしれないから

一方で、会わない理由もいくらでもある。
・お金がかかるから
・時間がかかるから
・外出が面倒だから
・今日は疲れていて休みたいから
・話しても盛り上がらないかもしれないから

僕の最近の大きな意志決定の一つである、
サラリーマンを辞めて起業する、もそうだった。

起業するべき理由はこんな感じだ。
・サラリーマンに向いていないから
・自分のやりたいことを自由にできるから
・やったことがないことで楽しそうだから
・お金持ちになれるかもしれないから
・偉人になれるかもしれないから
・世界が変わる瞬間に立ち会えるかもしれないから
・世界の偉人と知り合えるかもしれないから

一方で、起業するべきでない理由もたくさんある。
・失敗するかもしれないから
・安定的な収入が得られないから
・今の職に居続ける方が高収入だから
・学べることがまだ残っているから
・社会的なレピュテーションリスクがあるから
・スキルが不十分だから
・人脈がないから

結局、それらがどの程度自分の将来の人生に影響を与えるかなんて、計測が不可能だ。

じゃあ、どうやって自分が意志決定すればいいかというと、
自分がそれをやりたいかどうかで決めればいい。
あるいは、納得できるかどうかと言ってもいい。

できるかどうかでも、やるべきかどうかでもない。
やりたいかどうか、ただそれだけだ。

できるかどうかなんてやってみないと分からないし、
やるべきかどうか、人に生き方を強制される筋合いはない。

だから、やりたいかどうかを考えたその後で、
協働する人たちを説得するために、
初めてそれを「やるべき」理由や「できる」理由を考えればいい。

僕はただ、起業という挑戦をしなかったことで、
後悔して死にたくないという思いから起業をスタートしている。

これは僕のただの欲望でしかなく、
合理的な理由付けは何一つない。

そしてこの論理的思考のほころびから、
僕の座右の銘の一つが生まれている。

「何かを始めるのに早いことも遅いこともない。やりたいと思っている今がその時だ。」

もし、今何かを「やりたい」と思っていたら、始めてしまうことをオススメする。

参考
僕が「…したい」という言葉を殺した理由

サラリーマンを三年半やって気づいたこと

前回の
サラリーマンを辞めて気づいたこと
の兄弟記事になる。

僕は二社目を退職して起業することを決断した。

僕はサラリーマンという生き方が全く合わなかったことを悟ったからだ。

だが、そんな僕にとってサラリーマン生活は全部無駄だったのかというと、
そんなことは全くなかった。

むしろ、僕という人間にとっては、
不可欠なプロセスであったようにすら思う。

僕という社会不適合者が、サラリーマンをやって、
気づいたことや理解したことを以下に述べる。

新規事業じゃないとダメだと気づいた

学生時代、漠然と起業することに憧れて、
ビジネスコンテストに出てみたり、
自分でiPhoneアプリを作ってみたり、
企業と新規事業プロジェクトをやってみたり、
色々と手を出してみた。

全部うまく行かなかった。

だが、一つ分かったことがあった。

僕はまだ世の中にない新しい価値を生み出そうとする行為そのものに、
この上ない興奮を覚えるということだった。

そして、その価値のためなら、プライドを捨てて馬鹿になれた。

人の目を気にする僕が、
全く知らない人たちのグループに求人の宣伝を必死にしたり、

自分で動くのをめんどくさがる僕が、
丸2日間も現場に密着取材したり。

営業なんて考えただけでもゾッとする行為なのに、
実現こそしなかったが、iPhoneアプリに関しては、
完成間際にはLINE社に自分で売り込みに行く計画まで立てていた。

僕はとにかく動いていた。
そして学んだ。

自分で言うのもなんだが、
当時の僕は起業家のスタンスとしては、
いい線行っていたと思う。

計画なんかハチャメチャだったし、納期は守れないし、
人の巻き込み方もメチャクチャだ。

だけど、
とりあえずやってみること、
自分が先頭を切ってやること、
全部最後まで諦めずにやりきろうとすること、
やりたいことが目の前にあるのに、スキル不足でできないことが悔しくて一生懸命学ぼうとしたこと、
そして熱中して一日中そのことしか考えられなかったこと。

ここだけは今振り返っても、悪くはなかった。

そしてそんな学生時代を経験していながら、
僕は、サラリーマンになった。

今の僕ならそのまま起業しただろうが、
当時の僕には勇気が足りなかった。

今までみたいに肩書が欲しかった。

優秀な人が就職する会社に所属していた、
という社会人の保証書が欲しかった。

起業は「いつか」すればいいと思っていた。

そして、既存事業に関する仕事をするということがどういうことか、
全く分かっていなかった。

毎日、世の中にない新しい価値を実現しようと、
高校生の時の文化祭の前日みたいな気持ちで、
最高にエキサイティングな毎日を送るものだと思っていた。

だが、現実はそんなものじゃなかった。

僕は、自分の欲求とは全く整合性のとれない仕事をする中で、
どんどん鋭気を失っていった。

そして、精神的にギリギリまで追い詰められて、
僕は自分の根源的な欲求を受け入れられるようになった。

僕は自分で新規事業を創らないと、つまらなくて死んでしまう。

僕はこのとき、自分にとって大切な「新しさ」の定義をした。

参考:

ものづくりには三種類ある

そして、常に自分がまだ見ぬ、
「新しい」ものを生み出して生きて行こうと決意した。

これは、自分でプロダクトを生み出す人間になると決めた瞬間だった。

大企業の中で新規事業をやるのは自分に向かないと気づいた

僕は一社目を辞めた後、アメリカにある、
某エンジニアブートキャンプに参加しようと思っていた。

そこ入るには選抜試験をパスしないといけなくて、
そのために、日々黙々と勉強をしていたのだが、
ある日スタッフの一人に声をかけてもらった。

一緒に事業をやらないかと。

これが、二社目の入社に繋がった。

新しいものを追い求めて活動することを久しく忘れていた僕は、
動けば何かが起きる、ということを久しぶりに思い出した。

だが、しばらく勤める中で、
大企業で新規事業を作るのは、
僕の求める姿じゃないと気づいた。

大企業での新規事業というのは、
そもそも、「世の中にない」という意味での新規ではなく、
「社内にまだない」という意味の新規であることが多い。

参考:

新規事業の「新規」という言葉はどこで新規なのか?

上述の通り、僕の求める「新しさ」とは、
世の中に既にひとつでも存在していたらもう価値がない。

文字通りZero to Oneじゃないと嫌なのだ。

そして、もう一つ。

自分に裁量がないと楽しくない。

最終的な意思決定を自分で行っている、
という自己効力感が僕には不可欠だった。

自分が事業の方向性を完全に責任を持って決めている、
という状態が必要だった。

そう、一人のメンバーとして意見を出して、
結果的にその意見が通ろうが、
自分が意思決定していない限り、僕は充足感を得られない。

メンバーである以上、自由と責任は小さい。

僕が自分でそのプロダクトを作ったと思えるためには、
完全な自由と責任を負う必要があるのだ。

その意味で、僕は自分よりも上の立場の人間が一人でも存在する状態は望ましくない。

こうしたことを理解して、僕は確信を持って、
僕には起業するという選択肢しかないと思えるようになった。

三年半もかかって、遠回りしてしまったが、
一通り経験したことでやっと、僕は自分の生き方に確信が持てた。

きっと、いきなり起業して失敗していたら、
「やっぱ大企業に行って、安定的な給与を貰っていたほうが良かったのかな」
などという言い訳を沢山してしまっていただろう。

世の中の多くの人がどういう働き方をしているのかを知れた

人々にとって価値のあるプロダクトを作るには、
その人達が現実にどういった価値観を持って、
どういうふうに生きているのかを知る必要がある。

僕は、サラリーマン生活を通して、
大多数の人が経験する生活を知ることが出来た。

これは、過剰な労働時間や、組織における退職の要因、
日本特有の新卒採用という仕組みの功罪など、
世の中の構造的な問題を、深く理解することに繋がった。

結果的に、ライフスタイルの海外との比較も、
より実感を持って語れるようになった。

これは、いきなり起業して小さな組織から始めていたら、
知ることはなかったことだ。

会社の仕組みが分かった

どんな部署や役職があって、それはどういう必要性から生まれるものなのか、
ということが一通り分かった。

主に大きな組織を見てきたが、
結果として僕は小さな組織のメリットがよく分かるようになった。

だからこそ、自分で起業するときには、
何が大切なのかがよく分かる。

自分の強み弱みが分かった

まさか、自分が電話をしながらメモを取ることが出来ないとは思いもしなかった。

人の気持ちを汲み取ることが出来ないとは思いもしなかった。

僕は、自分が典型的なADHDであるということに、
そうじゃない人(大企業で上手く立ち回れる人)に囲まれて生きる中で、
知ることができた。

参考:
人の気持ちを考えるということが生まれて約30年間分かっていなかった話
ADHDはなぜ注意の向いた先のことから手掛けてしまうのか

いきなり起業していたら、僕は自分のそうした負の側面を、
自覚することはしばらくなかっただろう。

逆に、自分の優れている部分にも気づくことが出来た。

新しいビジネスなんて、
ビジネスパーソンなら皆が毎日考えているものだと思っていたが、
必ずしもそうでもなかった。

統計やAI、プログラミング、歴史、進化生物学、
こうした理系文系問わずに必要な知識について、
皆がある程度精通していると思っていたが、
案外そうでもなかった。

そして、それらを体系化して日常生活と紐付けて、
世の中の構造を紐解くことも皆がやっているわけではなかった。

自分が当たり前だと思っていたことの多くは、
全然当たり前じゃなかった。

そしてやっと、僕のやりたいことは僕にしかできないと確信が持てた。

こうした紆余曲折があって、僕は、
“connecting the dots”
というのは、こういうことなのかと、ほんの少しだけ感じることが出来た。

サラリーマンを辞めて気づいたこと

僕は起業すると決めてからサラリーマンを辞めた。

そして、早くも一ヶ月が経過した。

その中で気づいたことが沢山あるので、
気持ちが新鮮なままに書き残そうと思う。

全部、知識としては陳腐で、僕も昔から知っていることだが、
自分で経験してみてやっと実感が伴ってきたという感じだ。

お金の大切さ

言うまでもなく大切なのだが、
収入源が完全にゼロになると、強烈に感じる。
僕はこの経験自体は社会人になってから二回目だが、
強烈な不安に襲われることもある。

毎月の収入が保証されているというのは、
精神の安定という意味でとてもすごいことだということを知った。

環境の影響力と習慣の大切さ

サラリーマンをやっていると、
ほぼ強制的に会社への通勤が発生する。

強制的に何かをする環境を個人に与えているので、
人は無意識のうちにそれを軸とした習慣を身にまとうようになる。

通勤時間の電車の中でニュースを読む、とか、
9時から18時まで仕事をする、とか、
そういう皆が普段は当たり前にやっていることだ。

僕は、そうした環境が失われた途端に、
実行することが困難になった。

起業に必要な素養や準備は沢山ある。

ニュースを読んだり、事業を考えたり、プログラムを書いたり、本を読んだり。

こうして無限にやるべきことがある中、
僕はどういう配分で何をするべきかも分からなかったし、
自分で考えて分かったつもりになった後でも、
それを計画通りに実行することができなかった。

ここに来て、僕は習慣を作る能力が低いことを思い知った。

今まで、会社という仕組みが提供してくれていた、
強固なレールを利用することでしか、
効率よく何かをすることができなかったのだ。

まだここは絶賛改善中だが、習慣を作る能力はとても大切だと気づいた。

いかに自分がお金を稼ぐ能力がないか

サラリーマンのときに貰っている給料と同じ金額を、
自力で稼げる人は世の中にどれぐらいいるだろうか。

僕は、残念ながら全くそれが出来ないことが分かった。

僕には、サラリーマン時代に自分が温めてきた渾身のナレッジがあった。

これをパッケージ化して商品として市場に売れば、
毎月30万ぐらいは売れるんじゃないか、
なんて皮算用をしていた。

だが、実際に販売してみたら、たったの2万円だった。

これは、本当の意味で、僕が人生で初めて自力で稼いだお金だったし、
初めてにしてはかなり上出来な方だった。

だが、自分がここまで稼げないということを知って、結構ショックを受けた。

同時に、会社で給与を与えるという仕組み、
つまり雇用を作っている経営者は、社会的に本当に価値があると感じた。

お客さんの大切さ

僕はバックオフィスでしか働いたことがなかったので、
自分のお客さんというものを持ったことがない。

だが、上述のパッケージを買ってくれた人もそうだし、
知人のつてでフリーランス的な仕事を手がけたのもそうだったのだが、
初めて「自分のお客さん」というものに出会った。

自分のプロダクトを買ってくれる人というのが、
どれだけありがたいことなのか、ということが肌で分かった。

自分に仕事を与えてくれる人というのが、
どれだけ大切な存在なのか、ということが身にしみて分かった。

そして、自分のプロダクトで世の中に価値提供できる喜びが、垣間見られた。

いいプロダクトだけでは売れない

販売チャネルを含む、マーケティングが大切だと改めて感じた。

人は、自分が思っている以上にプロダクトを見つけてくれないし、
見つけたとしても、購入にはとても慎重だ。

「それを作れば、皆がやってくる」わけではないということを経験した。

それでも僕は自分の好きなことをやりたい

サラリーマンのときは、自分がやりたい放題できない代わりに、
莫大な恩恵を受けていたことがよく分かった。

しかし、それでも僕はサラリーマンに戻ろうと思っていない自分の気持ちに気づいた。

まだ自分で事業を作ったわけでもないのに、
たったの一ヶ月でここに挙げただけの気づきが得られた。

金銭的にはしばらく苦しいだろうが、自分の好きなことの探求で、
人に価値提供ができて、自分の人生経験が濃くなるのであれば、何も文句はない。

僕は人に合わせて我慢することはもうしない。 

「別に競合に勝つ必要なくないですか?」と彼は言った

ある人材業界の知り合いが言っていたことだ。
部署で物議を醸したのだと言う。

競合を倒すことに燃えている人を、
思いっきり逆撫でする言葉なのは僕も分かっているが、
冷静に考えてみてほしい。

本当に競合に勝つ必要があるのか、と。

Zero to Oneでピーター・ティールも言っているが、
競争というのは破壊的な行為であり、
資本をもとに発展を目指す資本主義とは対極の概念だ。

競争すれば、長期的に利益をゼロにしてしまうのだ。
そして、利益以上に組織に与える疲弊が最も悪影響だと言っている。

僕はこれを知ってかなり衝撃だった。

競争は是だと思っていたからだ。

確かに、競争は価格の低下を生み、
より安いサービスを提供を可能にする。

が、これは企業の利益が薄くなっていること、
従業員の給与が一向に上がらないことの裏返しだ。

短期的には商品価格の下落の方が早いから、
得するように思えるかもしれないが、
長期的には商品も安いが給与も安いという状態になる。

これはこれである意味平衡状態としていいように見えるかもしれないが、
相対的に豊かでなくなっている。

考えてみればすぐ分かることだが、
実は、独占しているからと言って、
価格が釣り上げられるとは限らない。

だって、あなたが今使っている検索エンジンは、Googleの寡占状態だ。

だけど無料だ。

ピーター・ティールの言葉をそのまま借りれば、
独占が悪になり得るのは、変化が一切ない世界においてのみなのだ。

競争は利益追求に奔走し、組織の疲弊を生むが、
独占は収益に余裕があるので、組織の創造性を生む。

競争はただの破壊行為で、非生産的なのだ。

これを知ってからというもの、
僕は世の中はいかに不毛な企業で溢れているかに気づいた。

全くサービス内容に差がないものを、
しのぎを削って市場シェアの奪い合いをしている。

一体何が目的なんだろう。

企業は社会をより良くするために存在する。

「打倒●●社!」とか、
「目標シェアNo.1」とか掲げているのを見ると、
競合を倒すことが目的になっているような気がしてならない。

顧客がどっちを使えばいいのか、
即答できないような似たような価値を提供するのであれば、
そういう企業は全部合併してしまうといい。

同じ価値を社会に提供するのなら、一緒にやればいいのだ。

そうすれば、市場も独占できて、
いちいち競合を気にする必要がなくなり、
新しい価値を創造する余裕ができる。

もしNo1を目指すことが目的なのだとしたら、
それは顧客を無視したただのエゴだ。

ちなみに、ピーター・ティールとイーロン・マスクは、
若くして競争の破壊性を理解していたので、
会社を統合して今のPayPalを作った。

この延長線として僕は理解しているが、
メタップスの佐藤さんも、Googleのラリー・ペイジも、
競合を見る必要はないと言っている。
そんな不毛なことに時間を使うのなら、
顧客を向いてより良いものを考えた方がよほど生産的だろう。

論理的思考の限界〜意思決定を論理的に行うとハマる罠〜

前回の『論理的思考の限界 』に次ぐ、第二弾だ。

元ネタは、みんな大好きMetapsの佐藤さんのブログだ。
ロジカルシンキングの弱点を考えてみた

昔、自分の叔父に言われた言葉で、
つい最近まで全く理解できなかったことがある。

「論理的思考なんて役に立たない。
そこで生まれる蓋然性なんて微々たるものだ。」

確かに、論理的に考えたことが外れることが頻繁に起きていた。

そしてこの記事を読んだとき、
どうして論理的な意思決定がことごとく失敗するのか、
違和感を覚えていた僕の疑問がついに氷解した。

今や、論理的思考はビジネスの世界では基礎技術とも言うべきスキルだ。

だが、何のために使う道具なのか、
今ここで明確にしておこう。

論理的思考とは、
他者を説得するために使う道具であって、
意思決定をするために使うべきではない。

そもそも、論理的思考が成立するためには、
ある命題を成り立たせるために必要な要素がすべて揃っていること、
その要素が正しいことを認識できること
の二点が前提になる。

果たして、人間は上記の二点をすべて把握できるほど全能なのであろうか。

答えはNoだ。

仮に、新規事業を検討している担当者が社内でプレゼンテーションをするとしましょう。海外ではその市場は注目されており、まだ日本では誰も手がけていないビジネスだとします。

担当者は、そのビジネスの可能性を、市場の成長性・海外プレイヤーの成長率・自社が参入した場合の競争優位性などを材料に、経営陣にプレゼンを実施します。経営陣はその説明をもとに自分達でも成功角度を見積もり参入の意思決定を行います。

もし、この時に同じことを検討している会社が100社あったらどうでしょう?

市場は一瞬で競争過剰に陥り値下げ合戦に巻き込まれて充分な利益が出せなくなるでしょう。ただ、今現在に誰がどんな事を考えて何の準備をしているかをリアルタイムで知ることは、世界中を監視できる立場にないと不可能です。この時点で、競争環境を判断する材料が抜け落ちていることになります。

ロジカルシンキングの弱点を考えてみた 佐藤航陽のブログより

すべての正しい情報を集めることも、
正しさを判断することもできないのに、
どうしてそれを材料にして考えた結論が正しくなり得るのだろうか?

だから、「論理的に」考えた投資は失敗するし、
戦略も失敗する。

こうして出来上がった論理は、
人にもっともらしいと納得させることはできたとしても、
それが成功につながるかどうかは分からない。

その意味で、論理的思考というものは、
説得するためのツールと割り切ってしまったほうが、
よっぽどいいのかもしれない。

「自分でやればよかった」新規事業責任者の彼は言った

僕の知人がつい最近こぼした言葉だ。

彼はとある企業の新規事業をやる部署で、

責任者をやっている。
そこそこ軌道に乗ってきて、
社内の新規事業としては、
もう少し伸びればいい感じというところまで来た。
しかし、ここまできて彼が感じたことは、
「自分でやればよかった」
だった。
それ以上彼の言葉を聞くことはできなかったが、
すごく重い言葉だと僕は思った。
新規事業をやる方法は大きく二つあって、
大企業の新規事業を創る部署でやるか、
自分で起業するか、
のどちらかだ。

前提としてこのどちらが正解ということはない。
自分のやりたいことや、自分の特性に合う方を選ぶべきだ。

だが、若くして起業するというのは、
多くの人にとって非常にハードルの高いことなので、
リスクを過剰に見積もる傾向にある。

当然、若くて経験もないのだから、
リスクをヘッジした選択肢を取る、
という結果になることが多い。

選択肢が両方あった場合に、
自分で起業する方を選ぶ人がいるとしたら、
その人は相当優秀ですでに経験があるか、
確固たる意志があるかのどちらかだろう。

そして、大企業でやるとした場合、
その際に捨てていることが実は多いことを後で知るケースが多いように思えてならない。

例えば、お金。
自分で起業すれば成功した分だけ自分に金が入る。
だが、大企業では結局サラリーマンなので、
失敗しても成功してももらえる金額は大して変わらない。

そして、十分なストックオプションの制度が整っている会社をあまり聞いたことが無い。

僕は最近まで自分はお金よりもやりがいぐらいに思っていたが、
実はお金も大きなモチベーションファクターであることに気づいた。

やっぱり、自分ががんばった分は自分で貰いたい。
それも、数千万円とかいうしょぼい金額じゃなくて、億単位で欲しい。
そして何より一番重要なのは、実際にお金を受け取ることよりも、
実現前にそうした希望がちゃんと持てていることだ。

大企業では数千万円どころか、数十万円ももらえない。

後は、成功したときのブランド。
自分で会社を作ったなら、自分の名前が売れる。
大企業でやったのなら、その会社と社長の名前が売れる。

それでもいい、という人も多いだろうが、
僕の感覚では本当にギラギラした、
自分が世界を変えることを覚悟している人が、
これらの報酬がなくてもいいと思っているようには到底思えない。

後は、スピードと裁量だ。
これはもう大企業の病なので、説明は不要だろう。

これもまた、ギラギラした起業家にとっては、
命と同じぐらい必要としている資源だ。
これを捨てた起業家は、PCを持たないソフトウェアエンジニアみたいなものだ。

話を戻そう。

知人の彼が何を思って自分でやるべきだったと言ったのか真意は分からない。

だが、おそらく僕が上記に上げたような、
創業当初には見えていなかった障害を憂いて言っているはずだ。

長くなったが、要するにこの記事で言いたいことはこうだ。

本当に自分で世界を変えたいと思っている人がいたら、
その人は絶対に自分でやるべきだということだ。

ビジネスパーソンとして何を目指せばよいか

最近、標題にシンプルに答える、
非常にしっくりくる言葉を見つけた。

「仕事ができるようになる」
「ビジネスができるようになる」
これは両方とも違う。

まず、最初に目指すべきは、
「人を儲けさせられるようになる」
ことだ。

仕事ができるけれど提案書だけのコンサルとか、
ちょっと作業を代わりにやってくれるだけの人は、
本当の意味で人を儲けさせられていない。

一方で、
あっという間に仕組みを自動化して、儲ける時間を膨大に増やしてくれるエンジニアや、
儲かる話を持ってきてくれる人、
あるいは人が着いてくる言葉を考えられるコピーライターなんかは、
人を儲けさせられる人の典型例だ。

まずは人を儲けさせられるかどうか。
これはビジネスパーソンとして生きるなら、
常に念頭に置いておきたい言葉だ。

「なんで?」ではなく「どうやれば?」と聞くのも必ずしもよくないという話

多くの上司は、部下が失敗したときに、

「なんで?」と聞く。
この聞き方がよくないことについては、
最近はかなり議論が尽くされている。

建設的に話をすすめるための方法論としてよく聞くのは、

「なぜと問うのではなく、どうすればできるか?と問うといい」
というものだ。
なんで?と聞くことは時間の流れ的に過去に遡ることになり、
議論が前向きになりにくいことが知られている。

聞かれる側は自分の失敗を突きつけられている感じがして嫌な気分だし、
言葉の受け答え的にできない理由が出てきやすい。

一方、「どうすればいいか?」は時間の流れも未来に向かっており、
一緒に考えている感じもするし、

できる方法を考えるので議論が前に進む。

これは一種の質問力だ。

そして、僕は最近までこれは例外なく正しいと思っていたが、
これも必ずしもそうでもないことに新たに気づいた。
なぜなら、できなかった理由が本人の心の問題だったときに、
どうすれば、を聞いても仕方ないからだ。

どういうことか。

そもそも、「どうすればできるか?」という問いかけは、
できることを前提にする話である。

だが、そのできることが前提になること、
あるいはやることが前提になっていることが、
そもそも感情的に受け入れられていない場合は、
そんな小手先のテクニックを使ったところで話は進まないのだ。

例えば、
毎日やりたくもない定例のタスクを振られているような場合、
どうやったらできるかなんて、本人はとっくに分かっていることが多い。

だから、どうすれば、という問いかけをされた場合、
答えは自分のやる気を引き出す工夫になるのだが、
それは直接は言いづらい。

理由はやる気がおきないから、なんていうのは、
この日本社会では基本的にはNGの言葉だからだ。

だから、もしそれを察知できる有能な上司がいたなら、
そのときの問い方は「なんで」でも、「どうやれば」
のどちらでもない。

「どうした、最近悩んでるのか?ちょっと話そうか」
が正解だ。

結局、起業するなら早い方がいいのか

この問いにはそもそも正解などなく、

その人がやろうと本気で思ったときがそのときだ。
だが、ここではそれ分かった上で、
僕の考えを示そうと思う。

いつ起業するのがいいか、という問いは、
言い換えればいつ起業をスタートすれば、
自分はビジネスを最速で成功させることができるか、
ということと同義だ。

なぜ速さが必要なのかだが、
確かに、大器晩成ということで、
60を過ぎてから成功しても別に構わないのだが、
失敗するリスクをヘッジするあまり年齢を食ってしまっていては、
せっかくお金を手に入れても自由度が減ってしまってつまらないからだ。

起業を志す人なら、多くの人はこれには同意するだろう。

そして、スタートをするタイミングはたったひとつで決まる。

本人が起業するのに準備ができたと思えたかどうかだ。


準備が足りないと思う人は長期間準備に費やすし、
準備が足りたと思う人は若くして起業する。

さて、その準備について考えてみよう。

僕はこれから起業すると決めた身なので、

まだ体感では分からないが、
理屈から言って少なくとも完璧な準備は一生不可能だと思っている。
「そこそこ成功する準備」も不可能だと思う。

なぜなら、市場の動きが指数関数的に加速しており、
そもそも必要なものを正確に把握する方が困難だからだ。

準備するよりも実践したほうが遥かに、
自分がやりたいことに則したフィードックが得られる。

さらに、仮に準備というものがあったとして、
自分のお金で背水の陣でビジネスをやるのと、
会社に守られた状態でビジネスの一部をやるのとでは、
結果的にどっちが人生において成功への近道かと言われると、
僕は前者の方が身につくし成長も早いと思う。

これは起業した人が異口同音に言うことだ。

会社のお金を本当に心の底から自分のお金と同じように扱える人は、
そうそういないだろう。

練習がどう頑張ったって試合にはならないのと同じで、
準備もどう頑張ったって実践にはならないのだ。

その意味で、「成長!成長!」と声高らかに叫ぶ企業群が、
なぜ社員に起業を勧めないのかは甚だ不思議である。

常識的に考えればそんなことはできない、と言われそうだが、
できない理由を考えるのではなく、
どうやったらできるかを考えるべきだろう。

物理的に不可能なことじゃない。

誰がどう考えたって、起業することは、
少なくともビジネスパーソンとしての成長という意味で、
最速なのは自明だ。

そうさせないということは、
成長の他に何か優先させたいことがあるということだ。

その意味で、成長を第一に嬉しそうに推してくるくせに、
起業には積極的でない企業に、僕は嘘つきと言いたい。

ちなみに僕は、自分の会社に勤めてくれた人には、
中期的には自分で独立してビジネスが出来るようにしたいと思っている。
…まだ自分すら出来ていないのはさておき。
と、
ここまでは準備に関する効率性の議論だったが、
最後にメタップスの佐藤さんの言葉で締めよう。

『( 知識 + 経験 )✕  エネルギー量  =  成果  』と言っても過言ではありません。

知識や経験があっても、エネルギーが枯渇してしまっていてはもう何かに挑戦しようとは思えなくなってしまいます。この「何かに挑戦できるエネルギーがまだ残ってる期間」を「人生の賞味期限」と私は呼んでいます。

十分な知識と経験が揃ってからやろうと考える人もいるかもしれませんが、エネルギー量は年齢とともに減少していくとすれば、いつ始めても実は成果は変わらないのかもしれません。

準備万全ではなくても、きっとエネルギーが充実していてる間にやっておくべきなんだと思います。私も28歳になったので、これから人生を賭けてひと勝負しようと思います。やらずに「時間切れ」はどうしても避けたいから。

現実を直視しながら理想を持ち続けることの困難さ、人生の「賞味期限」』より

これも彼の仮説だが、要は何か挑戦したいことがあるなら、
若い内にさっさとやれ、と言っている。

こう言うと、若い起業家の戯言だと笑う人も少なからずいるが、
友人Nによれば、KDDIを稲盛和夫氏と共同で創業した千本倖生氏ですら、
つい最近講演で会った僕と同い年のその友人に向かって、
「君は何をしているんだ、さっさと始めなさい」
と言ったそうだ。

本当に心から起業しようと思っている人は、
今すぐ始めない理由はなさそうに僕には思える。

「エクセルで今日の日付はtoday()だから、明日の日付はtomorrow()じゃないの?」と言った友人がいた

これは僕の友人Kが言っていたことだ。

本人は答えを知ったときに自分のミスに大笑いしていて、
その話を聞いた僕も笑ってしまった。

だがよくよく後で考えてみたところ、プログラミングとは何か?
という本質に迫る誤りだったことに気付いた。

(エクセルは汎用計算ソフトだが、
かなりプログラミングの要素を含む)

笑う人はどこがバカバカしいことに気づいたのか?

その答えはDRY原則だ。

DRYとは、
Don’t
Repeat
Yourself
の頭文字だ。

プログラミングの世界では常識だが、
同じことを繰り返し書くことはタブーだ。

なぜなら、繰り返しはコンピュータの最も得意とすることであり、
それを人間がしなくてもいいようにすることがプログラミングの目的だからだ。

それをプログラミングのコードを書くときにやっているようでは、
本末転倒もいいところだ。

エクセルの話に戻すと、
別にtoday()関数の代わりにtomorrow()という関数があるのならまだいい。

だが、両方存在するということは、
明後日も昨日も一年後もいちいち関数を定義しないといけない、
という構造になっているはずだ。

これこそDRYの原則を破っていることにほかならない。

繰り返さないで良いために、
軸となるtoday()を定義しておく。

そこからずらしたい場合は、
その数値から引き算なり足し算をする。

これが、DRY原則に則した考え方なのだ。

追記
エクセルに関しては結構書きたいことが溜まっているので、
また別の機会に全部まとめる予定だ。

17/8/24 一部文言を修正