生き方

自分が誰のために働いているのか、改めて考えてみた

キャッシュフローの観点から、

僕たちは誰のために働いているのか、
真面目に考えたことはあるだろうか?
恥ずかしながら、
僕は従業員の思考の域を出ておらず、
今の今まで一度もなかった。
そんな僕が、最近いくつかの書籍に触れる中で、
改めて認識させられたことがある。
従業員として働く多くの人は、
自分のためには働いていないという事実だ。
金銭的には自分のことを
一番優先順位を低くして働いているのだ。
じゃあ、誰のためかと言うと、
会社に投資してくれている株主であり、
会社の経営者であり、
会社に融資してくれている銀行なのだ。
そして、そうして富が吸い取られた後に、
さらに税金として国にも吸い取られ、
最後に僕たちの手元に雀の涙程度の小銭が残る。
これがどれぐらいすごいことが起きている仕組みか分かるだろうか。
例えば、単純な計算でも、
国に支払う社会保険料や所得税、住民税が、
仮に額面収入の二割だったとすると、
民間企業の人たちは、一年の労働のうち、
2ヶ月以上は国のためにタダ働きしているのだ。
そう思うと、例えば
選挙のために、明らかに無意味にたくさんいる人員のための人件費が、
その僕たちの血反吐を吐くような2ヶ月から支払われていると考えると、
バカバカしくならないだろうか。
僕は、そう思う。
もちろん、忘れてはならないのは、
会社という組織に所属するメリットとして、
仮に上手くいっていない従業員も、
いわば優秀な一部のプレーヤーの稼ぎを分けてもらう、
いわば富の再分配で生きることができているし、
研究機関なんかは将来の投資という目的から、
直接的な稼ぎがなくともお金をもらって生きることができることだ。
これは事実だ。
だが、僕がここで言いたいのは、
常日頃から、自分の働きで生まれたお金が、
誰に吸い取られているのか、
という客観的事実をちゃんと認識しておくことの重要性だ。
仮に自分に力があったとして、
このまま従業員として「安心」のために一生人の奴隷として働くのか、
それともリスクをとって自分のために働くのか。
いつかそんな選択を明確にする日が来るはずだ。
その日のためにも、
日頃からこの事実を理解し、
自分の行動の意思決定をしておくべきだろう。

なぜ「うかつにモチベーションを上げてはならない」のか

先日NewsPicksでもインタビューされていた、石川善樹さんという方の書籍、
仕事はうかつに始めるな』を読んで、思わず唸った話だ。

まあ、うかつに上げてはならない、
というのは語弊があるが、
モチベーションに対する考え方が少し変わる、
大変示唆に富んだ話だ。

僕は、常々仕事にせよ勉強にせよ、
モチベーションが大切だと思っていた。

だが、ダイエットを15年も研究してきた著者に言わせれば、
何かを続けようと思ったとき、
それはモチベーションが必要な時点で破綻している。

彼によれば、
体重というのは日々の習慣の積み重ねの結果であり、
したがってダイエットにおいて重要なのは、
痩せることではなく「痩せたままでいること」、
つまり痩せたままでいられる習慣を身につけることなのだ。

モチベーションが必要ということは、
維持をする努力が必要だということだし、
上下することがあるということだ。

つまり、コンスタントに続けることが困難だ。

もう少し科学的な話をすると、
そもそも人間の脳はいびつな構造をしていて、
進化の過程で新しい部分ほど外側に継ぎ接ぎされている。

つまり、内側のほうが動物の本能に近く、
言い換えれば、内側ほど支配力が強い。

それで、内側から順に名称と機能を述べると、
・大脳基底核:習慣
・大脳辺縁系:感情
・大脳新皮質:理性や意志
となっている。

理性が感情に負けることは多くの人は知っているだろうが、
その感情を凌駕するのが習慣だ。

無理もない、習慣というのは息を吸って吐くが如く、
無意識に行われるようなことだ。
そこに感情もクソもない。

だから、習慣にすることこそが、
物事を続けるために大切だ、ということだ。

・・・まあ当たり前かもしれないが。

そんなわけで、習慣がいかに重要なのか、
ということを理解したところで、
早速僕は石川氏のこの著書に従って、
仕事のやり方を変えて習慣化することにした。

結論から言うと、かなりよくて、
いとも簡単に集中状態に入れるようになった。
ADHDの僕が、である。

筆者には本当に感謝の念でいっぱいである。
これについてはまた後日。

引っ越しして人生が変わった話

僕は以前大田区のある場所に住んでいたが、

キャリアの関係で紆余曲折あり、
最終的に世田谷区に引っ越してきた。
これで、明らかに1つ変わったことがある。
それは、人生が好転し始めたことだ。

科学的証拠があるわけではないが、
事実として明らかに全てが変わった。
それで、何が影響しているかと言うと、
僕の仮説は街の雰囲気だ。
僕が前に住んでいたエリアでは、
住んでいる人の表情が異様に暗かった。
負のオーラが出ている。
この世の地獄を見たかのような表情の人が本当に多かった。
たとえそれが休日でも。
一方、今のエリアは、みんな明るい。
楽しそうにしている。
賑やかで、街に活気がある。
たったそれだけなのだが、
無意識のうちにその環境は自分の精神に影響を与えていたようだ。
今振り返れば分かるが、
もう少しあの場所に住んで、
もう少し前の仕事を続けていたら、
僕の精神は完全に病んでしまっていたと思う。
本当に結構ギリギリだったみたいだ。
なんでそんなことが分かるかと言うと、
当時の僕の写真だ。
明らかに、その土地に住む人たちと、
同じ負のオーラをまとっているのだ。
たとえ、ディズニーに行ったとしても。
目に生気がない。
認識していなかっただけで、
もしかしたら既に一定病んでいたかもしれない。
あとは、最近久しぶりに会った友達には、
よく「なんかいつもより元気だね笑」
と言われる。
むしろこっちが普通なのだが。
僕は多分どこかで本能的に人生の危機を察知して、
自ずと思い切った行動をとることに迫られたんだと思う。
自殺というのは、本当に、昨日まで元気にみんなと過ごしていた人が、
なんの前触れもなく突然するケースが多いと言うが、
僕は思い切った行動が自殺の方に行かなくてよかった。
命より大事なものなんてない。
あんまり思い切り過ぎていて、
アメリカで働こうとしていたのは、
今思えばちょっとやり過ぎ感もあるが、
それぐらい変えないと本当にまずいと思っていたのだろう。
ということで、この一連の経験で
僕が学んだことは2つだ。
「仕事楽しい?」と聞かれて、「最高に楽しいよ!」と即答出来ない人は今の仕事はやめたほうがいい。
今すぐ。早く!!本当に死んじゃうから!
そして、もう1つは、今住んでいる街に毎日出かけたいかどうかだ。
もちろん、そもそも機能として、
出掛けるような街かどうかという問題もあるが、
少なくとも、自分のホームタウンだという安心感が得られる場所かどうかが大事だ。
そうじゃない人は、今すぐ引っ越しを検討した方がいい。
まあ、要するに自分の環境というのは、
仕事や住む場所も含めて、
全部少し背伸びするぐらいがちょうどいいということだ。
大前研一氏の言う、
人を変える要素の1つが「住む場所を変える」ことだが、
ここまで変わるものだとは思いもしなかった。
これからも自分の環境は選んで生きていきたい。

笑いの裏にある心の強さとは

笑いにも種類があるが、今回は特に自分をネタにして笑いをとる話だ。

自分をネタに出来るというのは、
自信の表れだ。
やってみたことのある人は分かると思うが、
自分に本当に取り柄がないと思っているような自信のない状態では、
とてもやる気にはなれない。
自分がますます惨めな気持ちになるだけだ。
潜在意識として、
自分には他に取り柄があると思えているからこそ、
弱い部分をネタに出来る。
僕の話で言うと、
小学校のときは自分の肌が白いことや、
体格が貧弱なことを気に病んでいたことがある。
しかし、僕は勉強をして頭がちょっとばかり良くなったし、
陸上の練習をした結果足も速くなった。
ここまで来たら、もう自分の肌の色とか体格なんてどうでもよかった。
色が白いとバカにされようが、
細いとバカにされようが、
僕には圧倒的な自信があった。
「白すぎてそろそろ白人になれそうだよ。英語話せないけど」
「細いでしょ?細くしたら足が速くなるらしいよ。チーターとかみんな細いでしょ」
こうなってくると、
バカにする方も楽しくないので止めるし、周りの笑いもとれる。
僕の完全勝利だった。
これは僕が小学六年生のときの話だが、
このメカニズムは、大人になっても変わらないというのが僕の持論だ。
チャックが開いていたら?
友達の前でずっこけてしまったら?
この試練を笑いにできる人は、
恐らく強い人だろう。

仕事ができるのとビジネスができるのは別の話だ

gf01d201503060800

よく分かっていない人が多い気がするのだが、
仕事ができるというのはビジネスができるのとは同義ではない。

そして日本には、仕事はできるがビジネスができない人が多いような気がする。

逆に、ビジネスができる人は必ずしも仕事ができるわけではないと思う。

そして、「そういうお前はどっちになりたいんだ」
と言われれば、僕はビジネスができる人と即答する。

そっちのほうが儲かるし楽しいからだ。

何が違うのか。

一言で言うと、
ビジネスができる人のほうがメタな視点を持っている。

それゆえ、自分のポジショニングや強みの差別化など、
他にも勝利を左右する要素が沢山見えている。

「ビジネスができる」の方が上位の概念で、
仕事ができるようになるのは、ビジネスができるための一つの手段でしかない。

ビジネスができるためには、最低限仕事ができる必要はあるが、
必ずしもそれを極めたからといってビジネスでは成功しないのだ。

(サラリーマンとして社畜の最高峰には行けるとは思うので、なりたい人を僕は止めはしないが。)

例えば、
計画を立てるのが苦手な人は、

仕事が出来るようになることを目的にすると、
計画を立てることが仕事を進めるために必須になってくるので、
克服しようとする。

だが、ビジネスで成功することを目的にすると、
そもそも計画の必要のない職業や職種を選ぼうとする。

細かい作業の苦手な人は、

仕事ができるようになることを目的にすると、
細かい作業でミスをしない仕組みを考えたり、
ミスをしない方法を考える。

だが、ビジネスで成功することを目的にすると、
細かい作業を人にやってもらえる環境を選んだり、
やらなくてもいいシステムを個人で導入しようとする。

会社という組織に馴染めない人は、

仕事ができるようになることを目的にすると、
会社という組織に馴染めるまで我慢したり、
馴染める方法を考える。

だが、ビジネスで成功することを目的にすると、
起業するなり個人事業主になるなり、
組織を作る必要のない方法を考える。

当然、ビジネスで成功することのほうが、
お金を儲けるという意味においては正しい目的設定なので、
そっちのほうが成功しやすい。

あと、自分に向かないことを頑張ってやる必要がない方法を考えるというオプションがアリなので、
精神的にも楽だし、モチベーションは俄然高まる。
 
あなたは仕事ができるようになりたいですか?
ビジネスができるようになりたいですか? 

「あのときの自分の方がすごかったんじゃないか」と思うあなたが知っておくべきたった一つのこと

170330

「昔の自分の方がすごかったんじゃないか」

こう思ったことのある人は多いはずだ。

この思考をするということは、
その人の成長志向が強い証なのだが、
こういう人がよく陥る罠がある。

この罠のせいで今の自分が嫌になり、
悪い状態に陥ってしまうのはあまりにももったいないので、
そうならないためにも、そして次のステージへ行くためにも、
覚えておいてほしい。

それは、
「昔よりも今の方がゲームの難易度が上がっている」
ということだ。

中でもよくあるのは、
高校生のときの部活や受験勉強を頑張れていた自分と比較するケース。

自分たちが高校生だったときは、
部活や勉強に毎日打ち込み、
帰ってからYoutubeを見たりダラダラすることなく、
ストイックに過ごしていた。

その結果として、
それなりの成果を残してきた。

だが、今の自分は、
必ずしもそんなことはなく、
帰ってきて疲れているときは早めに休むこともあるし、
土日だって、いつも勉強しているわけではない。

そうして見てみると、
明らかに今の方が成果は出ていなくて、
その原因は毎日の自分の怠惰な生活にあるようにしか思えない。

だが、これは本当にそうだろうか?

これは先ほども述べたように、
別に自分が劣化したとか怠惰になっていると言うよりは、
実は今の方が格段に人生ゲームの難易度が上がっているのが主な原因で、
もう少しいうと、これは、
大人になるにつれて、考えるべき対象が増えていることに起因する

しかも指数関数的に難易度は上がっている。

高校生のときまでは、
身も蓋もない言い方をすれば、
部活と勉強という二つを頑張ればよかったし、
特に勉強なんかは、ほとんど学校や塾がやるべきことを提示してくれていた。

僕たちがやることといえば、
いかにそのレールを速く走るか、
制限時間内に遠くまで走るか、
ということだけだった。

走ることにだけ集中すればよかったのだ。

これはある意味何も考えないでいいのに等しい。

(その意味で、僕の見立てでは、多くの東大生というのは既存の仕組みを
最大限に効率向上させて利用するエキスパートじゃないかと考えている。)

そりゃ、やればやるだけ成果も出やすいし、
やることもだいたい型になっているので、
上昇志向の人が成果を残すのは当然と言える。

だが、大学生になり、社会人になると、
誰もが自分で何をするのか、
というそもそもやることから自分で考えないといけなくなる。

初めて自分の素直な欲求や人生と向き合う。
初めてやりたいことを全部やることができないことに気づく。
初めて自分の時間が有限であることを体感する。
初めて本格的に1日に取り組む対象を取捨選択することに迫られる。

昔よりも選択や判断をする回数が圧倒的に増えている上、
自分の中にしか答えがないので、当然試行錯誤することが増えている。

そうすると自動的にいろんな領域にパワーが分散していくので、
成果が出にくくなる。

こうして、対象の広がりとそれに伴う選択の必要性という意味において、
ゲームの難易度は圧倒的に上がっている。

このゲームに疲れた僕たちは心身ともに疲弊し、
目の前のことを一生懸命することが昔よりも困難になる。

ゲームの内容が全然違っているのだ。

僕たちはまずこの事実を認識するべきなのだが、
多くの人にとってはこの変化がそこまで離散的でないため、 
ゲームの難易度がいつの間にか上がっていることを認識しない。

良くも悪くも日本の教育システムはそれなりによくできていて、
高校→大学(+バイトやインターン)→社会人
という約半数の人が歩む王道のルートは、言っても変化がなだらかなのだ。

これを認識しない結果、
自分が劣化したという錯覚を抱く。

昔の自分の方がすごかった、と。

本当は自分のいるゲームルールが変わっただけなのに。

今の時代は情報が多すぎるし、
幸か不幸か自分でやることを自由に決められる。

この、「自由度が増えるほど、実は不自由になっている(=取捨選択に苦労する)」
というパラドックスを認識し、選択する技術を身につけなければ、
この人生ゲームには勝てない。

【参考】『現代人は自由と引き換えに不自由を獲得した』 

まずは、自分が劣化したという錯覚から抜け出し、
今自分がどういう選択に迫られているのかを知ることが、
次のステージへのヒントになるだろう。

結局、しんどいときは頑張る方がいいのか

gatag-00012045

出所は忘れてしまったが、
とてもいい考え方を知ったのでメモしておく。



仕事でもなんでもいいが、
自分が何かやりたいことをやっているが、
なかなか成果が出なくてつらいときがあったとき、


成果が出るまで頑張り続けた方がいいのか、

と悩んだことのある人は多いだろう。


    

結論から言うと、


「長期的には結果が出るまで頑張る

短期的には自分の気持ちを優先してしんどかったらすぐやめる」
 

というスタンスが一番健全かつ成果に繫がりやすい。



真面目な人にありがちなのだが、

成果が出ないときというのは、
大抵気持ち的にはかなりつらい状況にあるはずなのに、

「ここでやめたら負けだ」的な発想で、

しんどい気持ちのまま続けてしまう。


皮肉だが、こういうときというのは、大抵成果が出ない。
 

その人から負のオーラしか出ていない。
 

不適切な度合いで緊張したりしていて、ミスを連発する。


また自信をなくす。
 

小さな成功体験が得られない。


そして、これほ周りが見ていても気分のいいものではないので、

周りとも距離が出来る。


    

こんなおぞましい状況で、成果が上がるはずもない。

    

どうせ効率も下がってて、

成果が出ないぐらいなら、

一旦やめてしまえばいい。

    

本当にやりたいことなら、

ここで諦めることはないはずだ。
 

細々と続けるか、一旦はやめてしまって、

そのあとでまた気持ちがノってきたときに再開する。

これぐらいが実は一番気持ちも楽だし、成果も出やすい。


    

信じる信じないは個人の自由だが、

頑張っていてしんどいという状況は、

個人の経験から言っても何かがおかしいので、

一旦引くというのはかなりおすすめだ。


そしてまたやる。

    

短期と長期で分けて考えるのがポイントだ。

あなたは今、頑張っててしんどくないですか?

「素晴らしい前例を作るのがよくない」と彼は言った

組織という観点から見ると、

働きたい人が働きすぎるというのは、

必ずしもいいことばかりではないようだ。

これは、よく飲みに行く友人Hから教えてもらった話だ。

僕は、働き方に関しては、僕は働きたい人は働けばいいし、

働きたくない人は働かなくていいと思っていた。

だが、この働きたい人が働きすぎると、

組織の風土によっては悪い副作用が起きる。
それは、
「この仕事をやってる人は、こんなに働いている。だから、お前もやれ」
という空気だ。
これは直接的に言われることもあれば、
文字通り空気であることもある。
特にそれで成果が出ている場合は最悪だ。
余計にその圧力が強くなる。

そんなに働きたくない人がそれを強制される義理はない。

もちろん、働く人に基本的に非はない。

だが、一歩引いてみたときに、
組織として他の人が働きにくい空気を醸成していないか、
というのは働く側のマナーとして持っておきたい意識だと思う。

誰かを目指す限り、オンリーワンにもナンバーワンにもなれない

最近、兼業のありかたについて考えていた。

今の時代、実は兼業の仕方に関して言うと、

守破離の原則は無視したほうがいいと思うようになった。

なぜなら、もはや多様化が進みすぎていて、

自分に当てはまるケースが少ないからだ。

そして、何より、誰かの真似をしていると、
自分は絶対に二番煎じのものしか作れない。 


やり方のいいところは真似るべきだが、
全部同じことをして同じ価値を発揮しようとすると、
すでに先行者利益を貪る先人と勝負することになり、
永遠に勝てない。

個人がニッチな市場で活躍する環境が整った昨今だが、
やはり精神性としては、自分で色々試さなければならない。
 

オンラインの個人メディア運営の話でよく出てくる、はあちゅう女史なんかは、
かなり試行錯誤を自分でやっている。

逆説的だが、ああいう試行錯誤をたくさんやっている人の方が、
後で体系化された理論とかは体感で納得しやすく、
かつ自分ですでに資産を作っているので、
結果として最短距離で勝つことになる。

僕たちは今、誰の真似でもない、
自分だけのキャリアや価値、
生き方を考えられているだろうか。

多分、研究をやったことがある人にはわかる感覚だと思うが、
自分がたった一つの生き方をしている感覚というのは、

実験が成功し、終えたばかりのときに、
「世界中でこの知見を知っているのは、自分たった一人なのだ」
というあのドキドキワクワク、そして、
自分しかわからないこの未知の領域の最先端にいる、
というあの感覚なのだと思う。

僕のことで言うと、
まだまだ正直世の中の二番煎じでしかない。

僕の発信しているテーマは、
世の中のどこかに少なからずある。

このままじゃいけない。

僕たちは忙しい毎日を過ごしているが、
どこかで一度立ち止まらないと、
結局は全て中途半端に二流で終わってしまう。

自分の価値を見直す時間を定期的にとってみてはいかがだろうか。

人を知ることが幸せへの近道である理由

165

人には情報処理系統に分類がある。

これに伴って、必然的に人それぞれに適した、
情報の処理方法が異なってくる。
 

価値観が異なるのは当然にしても、
実は情報処理の方法論すら、人によって適切なものが異なるのだ。

これは好き嫌いとか、価値観以前の問題だ。

でも、自分にとってこの情報処理は、
常日頃から無意識で行うことで、
かつ人と共有しないことだけに、
人と話さない限り違いに気づくことはない。

だが、人と話すと、
「なんでこの人は図に書いてもわからないんだろう」
とか、
「なんでこの人は話しても理解しないんだろう」
なんてことが起きる。

その時にまず疑ったほうがいいのが
この情報処理系統の違いだ。

僕は視覚タイプなので、
図式化されないと理解できない。

だから、口頭で説明されるのは特に苦手で、
頭の中で即座にイメージを思い描かないとダメだ。
(それゆえ、イメージが難しいものや複雑なものは言葉では僕には伝わらない)

一方で、聴覚で理解する人は、
図を見て理解しろ、ではダメで、
その内容を自分か誰かが言葉で音声化して聞かせないと理解できない。
 

こうした違いがあることを知ることは、
人とのコミュニケーションを円滑にするためにも重要なことだし、
(あの人は絵に描いてあげた方がいい、とか、テキストがいい、とか) 
当然自分の特性や強みを知るためにも必要だ。
(図で理解するのが得意だから、モデル化を扱う仕事が向いている、とか) 
そして、自分のことを知っていると何が一番いいかというと、
それが自分を幸せにする近道になることだ。
何かを勉強することひとつをとっても、
記憶の得意なパターンが分かっていれば、
変な人の勉強の方法論に惑わされることなく、
自分に適した方法を見分けられる。
自分の得意不得意が分かっていれば、
起業に際してどんな人材でチームを作るべきかが分かり、
失敗する確率を減らせる。
自分の性格を知っていれば、
自分が元気がなくなったときに、
どうすれば元気になるかが分かる。
逆説的だが、
自分のことを幸せにするためには、
人の話をよく聞き、その人の特徴を理解して受け入れることが、
実は近道なのだ。