資本主義社会における人生の3つのステージ

少し前に資本主義についてちょっと調べていた時期があって、そのときの理解を改めてここにまとめる。

前提として資本主義社会でのゴールは、金を生み続ける資産を形成することだ。

一時期流行ったピケティなんかは、労働で金を生むよりも金が金を生む方が効率がいいということを言っている。

このゴールまでの道のりを分解すると、資本主義社会に生きる僕たちの世界は大きく3つのステージがあって、
それは時系列順に以下のようになる。

  1. 初期:スキル・知識・経験、元手としての資産形成時期

  2. 中期:元手を利用して、金を生む仕組みとしての資産形成時期

  3. 後期:金を生む資産の多角化時期

それぞれ、具体的に以下に説明する。

1. 初期:スキル・知識・経験、元手としての資産形成時期

時期的には20代前半ぐらいだろうか。
最終的に資産を形成するためには、その元手が必要だ。

元手というのは例えば、自分のスキルは言わずもがな、挑戦をするための資金や人脈、信頼、
有形無形問わず、様々な資産のことだ。

当然、ビジネスパーソンとしてはまだ生まれたての20代は、
これらを通常持ち合わせていないので、初期に形成する必要がある。

同時に、中期でタネにする業界に関する知識の習得や問題意識の醸成、自分の志向性の理解なども行う。

2. 中期:元手を利用して、金を生む仕組みとしての資産形成時期

時期的には早ければ20代後半、平均的には30代前半ぐらいだろうか。
初期に形成した資産を使って、金を生む仕組みを構築するというチャレンジをする。

金持ち父さん貧乏父さんのロバート・キヨサキさんとかは不動産をオススメしているが、別になんでもいいと思う。

よくあるのは株式投資とかだけれど、利益は割合で決まり、どんなに良くても利回りは20%が関の山なので、元手が少ないこの時期に本格的に柱にするには心許ない。
(逆に、元手が十分にあるならありだ)

僕が個人的にやっているのは、(労働力の切り売りじゃない)自分のビジネスプロダクトだ。多分これが一番面白い。

ここで失敗すれば、初期にまた戻ってやり直しだ。

3. 後期:金を生む資産の多角化時期

中期で成功を収めた後は基本的にはずっとこれが続く。
(もちろん例外はあるし、例えば別の領域に鞍替えするため、初期に戻るのなんかはありだ)

どんな資産も永久に続くものではない。

不動産などはかなり長期的に続く資産だが、それでも建物の劣化や土地の価格の変化などがあり、永久にそれだけで安定を求めるのは厳しい。

したがって、企業戦略と同じで資産もポートフォリオを組む必要がある。金融における投資と同じだ。

不動産に統一するにしても、場所を分散させたり、形態をばらつかせることで、収益を安定化させることができる。

僕が個人的に目指しているのは、複数のプロダクトの所有と、そうしたプロダクトを生み出す方法論を共有するコミュニティの形成だ。

中期で上手く資産が作れていれば、ここで失敗しても初期に戻されることはなく、チャレンジを続けることができる。

僕たちは働くごとに、生きるのが楽になっていくべきだ。

だって、頑張って世の中に価値を提供しているのだから。

そのためには、日々の仕事やアウトプットが資産として溜まっていくかどうかを重視するべきで、

安易に人の信頼とかの計測が不可能な無形の資産の形成だけに走るのではなく、バランスよく資産を作っていくべきだと僕は思う。
(言わずもがな人の信頼は大切だが)

人生設計の何かしらの参考になれば幸いである。

アウトプットするのは、自らを検索可能にするためにこそ必要

ビジネスパーソンに限らず、世の中に何か価値を提供する人間にとって、アウトプットが必要というのはもう言うまでもないだろう。

その中でも、最近ようやく肌感覚で分かってきたことだが、
一番レバレッジの効果をもたらすのは、オンライン上でのアウトプットであり、
それはインターネットでの検索可能性を上げてくれるからだ。
いや、何を当たり前のことを言ってるんだという感じだが、最近、「何をやってるか分からない」と言われることが多くて、考えてみて最近やっと理解できたのだ。
世の中には優秀な人が自分の想像以上に多い。
それは仕事を色んな人としてみたり、色んな人がいる場で話してみるとすぐに分かる。
これは、僕たちが知っている優秀な人というのが、
メディアなんかで取り沙汰されている、
ごく一部の人たちで構成されているためだ。
まだ実績がなかったり、検索可能になっていないだけで、
実力のある人がごまんといる。
逆に言えば、これはチャンスだ。
実力がなくても、
世の中により認知されることで、
結果的に実力を高め、有名になることができるということだ。
極端な話、実力はなくても、
自分が日々積み重ねていることを発信することで、
それは機会を生み、思考の質を上げ、自分の資産となっていく。
はじめは、実力のない者は、世間的には実力のあるものに名目上勝り、
そのうちに事実上も勝ることになるのだ。
オンラインへのアウトプットとは、
こうして徐々に他者との差を広げる性質がある。
この差を考えたとき、
僕は自分のやったことや考えていることを、
あまりにも発信していないということと、
その機会損失が大き過ぎることに気づいた。
今の世の中の仕組みの中で僕が好きなところの一つは、
自分の考えをブログやSNSで自由に発信できることだ。
昔は会社なんかの組織で功績を残して、
新聞や雑誌、テレビに取り上げられるぐらいしか方法がなかった。
だけど、今は面白いコンテンツを作れるなら、
そんな所を経由しなくてもいい。
自分の可能性を広げるため、
アウトプットの回数を増やそうと思う。
令和は思考力より試行力重視で。

 失敗と禁止と環境の納得 〜doerはどう戦うべきか〜

端的に言うと、doer(物事を自分で行う人。起業家、事業家、なんでもいい)は、アホなノイジーマイノリティの批判で挑戦を挫かれてしまうのを避ける方法は、実績を作るか場所を選ぶかしかないということだ。

最近、会社でルールを設けることや、あるいは国家として法律を作ることについて、少し考えたことがあった。

ルールや法律(以下、まとめて規則と呼ぼう)は、その規則を設定する単位の組織において、失敗や批判があったときに後発的に作られることが多い。

例えば、民泊なんかだと、近隣住民にとって迷惑になることが沢山報告されることで、じゃあ手を打ちましょうと、営業日数の削減や、ホテルのような受付の設営義務を課すようになった。

テレビなんかだと、子供に悪影響だと懸念されるようなコンテンツがどんどん放送規制されるようになった。

よく見る光景ではあるが、この先にどんな世界が待っているのかを考えたときに、僕はとてもつまらない世界しか想像できなかった。

組体操も棒倒しもダメ。

あれもダメ、これもダメ。

この、ダメダメづくしの施策を見ていると、一つの共通点が見えてきた。

それは、「禁止事項である」ということだ。

もともと、それらの行いは何かしらの建設的な目的のために、誰かが良かれと思って考えたことばかりだ。

当然、完璧なことなど世の中には存在しないので、失敗もあれば事故も起きるだろう。

例えば、人は歩行をするが、歩行することは転倒や交通事故のリスクを伴う。

だが、歩行の先にあるメリットを享受するため、人は、「歩かない」のではなく、「歩く量を減らす」のでもなく、「右を見て左を見てまた右を見る」などの工夫によってそれらのリスクを減らして生きている。

転倒や交通事故が危ないので、死ぬまで歩くのを止めました、という人を聞いたことがない。

だが、近年のダメダメ施策はどうか。

まるで、そうして歩くのを止めた人に僕は見える。

施策の何がいけないかというと、代案を出していないこととも言える。

「〜という失敗を回避するため、〜する」という行動ベースの施策になっていない。

ある意味、失敗を避けるために、やらないという選択は誰にでも出来る安直な考えだ。

難しいけれども、人が考えるべきは、

「どうやったら失敗を避けつつできるか」

だ。

避けるべきは、

「不要なリスク」

であって、

「リターンの享受のために必要なリスク」

ではない。

だが、リスクと危険を区別できない人たちは、感情論でリスクのロングテールばかり指摘する。

そして、もっと厄介なことに、そういう人たちはリターンが認識できないので、指摘だけして同じリターンを得るための代替案を考えない。

肝心の次の一手もまた、人任せなのだ。

そして、残念ながらこういう反応をするノイジーマイノリティの意見が世論として取り沙汰されやすい(安直にニュースのネタにされやすい)ので、あたかもそういう意見が世論であるかのように思われる。

すると、どうなるかと言うと、何も手を打たないと、環境が納得しないかのようの状況が続くのだ。

こんな事故を起こしておいて、何もしていない、と。

本当は想定のリスクの範囲内であるにもかかわらず、

必要以上にリスクを減らすことを要求される。

結果として、doerたちは、頭では全く建設的じゃないことを分かっていながらも、とりあえず「禁止」することを余儀なくされる。

僕はこういう現象を目の当たりにするたび、

そんなアホな一部の人のために、

その他の人たちがリターンを享受出来なくなることは、

あってはならないと思う。

じゃあ、僕たちdoerはどうしたらいいのか?

スタートアップや個人で新しい取り組みを成功させている事例を見ていると、

大きく以下の2通りがありそうだ。

1. 実績を出す

一番分かりやすい価値の証明方法だ。

それがリスクのあるものでありつつも、

ちゃんと人や世の中に必要とされていることが分かれば、

ノイジーマイノリティは黙るしかない。

論破出来ないので、むしろ非論理的なことを言うと惨めだからだ。

2. 場所を選ぶ

自由度の高い現代だからこその選択肢だ。

理解の得られる場所を選んで閉じてしまえばいい。

例えば、有料コミュニティとかは最たるものだ。

共感出来る人しかいないので、建設的な反対意見しかない。

doerは僕の中で一番価値が高い人種だ。

自分も来るべきときには、

コミュニティを閉鎖したりして、挑戦をしつつづけたい。

平成という僕の半生をまとめる

平成最後の日ぐらい、ブログを書こうと思う。

とりあえずネタとしては、以下の2つ。

  1. 近況報告

  2. 個人の平成史の振り返り

1. 近況報告

なにやってるかよくわかんないってよく言われるので、簡単に。

2018年はフリーランスでずっと仕事をしてきたが、
前職でお世話になった先輩に一緒に会社やろうって誘っていただいた。

それで、今はそのGrooveTubeという会社でCTOをしている。

CEOのその先輩と、もうひとりCOOの方がいるのだが、二人共それはそれは変わったキャリアで面白い。

最初はフリーランスの仕事の延長線ぐらいで考えていたのだが、お二人と一緒にいる中で、
仕事を「誰とやるのか」はもしかしたら僕にとって大事なのかもしれないと思うようになった。
(今まで仕事をする中で、僕という人間は、「何のために何をやるか」を大事にするタイプだと思っていた)

僕は基本的に誰かの言う通りに何かをするのが嫌いで、
管理されることなんかが特に大嫌いだ。

自分の自由を脅かされる事象がすべて肌に合わない。

最近コミュニティの運営のノウハウで、

「裏切られても信頼する」

という従来では考えられなかったような方法論を唱えているのを見たが、

「あ、僕が求めているのはこういうことだよな」

と、とても腑に落ちたのを覚えている。

今、まさにそんな感じで仕事ができていて、何不自由なく楽しく生きている。

ところで、平成の半生で仕事における最大の収穫は自分の人生のミッションを見つけられたことだった。

人生のミッションややりたいことなんて、普通はそうそう見つからないものだが、
僕は数年間ずっと考えていたこともあってか、ようやく見つけるに至った。

それが、

自分のビジネスで生きていける人を増やすこと

だ。

僕は基本的に誰にも何にも束縛されない、自由な生き方を求めているのだが、
それができる人を増やしたいということだ。

そして、その自由に対して必要なものを突き詰めた結論が、自分のビジネスだった。

実は、会社の言う通りにしないといけないとか、好きな仕事ができないとか、
そういう「会社」絡みの不自由さは案外突破が簡単だ。

よく、「下積み時代に仕事を頑張って、周りからの信頼を得て、役割を与えてもらって、それで自由を獲得していくものだ」みたいな論調があるが、それはコミュニティを変える自由度が低かったり、金になるスキルが限られていた昔の話だ。

別に、その方法論自体は僕も否定しないし、それどころか、今もビジネスをする上で核であることは間違いない。

だが、別に自分に合わない場所でそれをやる必要はとっくになくなっている。

自分の好きな仕事や働き方をするのは、結構簡単になってきているのだ。

僕自身、学生の頃から好きだった、「ビジネスを考えること」「プログラムを書くこと」この2つが今の仕事の中心になっているし、この2つは指向性が相反しやすいので、両方できる人は少なく、周りからは幸いにもありがたがってもらえることが多い。

任せてもらえるので、結果として、働き方はかなり今は自由だ。

僕はかなり夜型なので、毎朝遅くに起きて、通勤電車にも乗らず、スイッチが入ったタイミングで仕事をし、気分転換で真っ昼間に筋トレや散歩をしたり、仕事場を変えたりして、大体一日中仕事をして、寝る前にテニスの動画でも見て、疲れたら深夜に寝る、みたいな毎日だ。

自由だ。

だが、どうしてもこのままでは、自分が労働をする必要がある。
時間の切り売りになっているからだ。

そしてこれは、自動的にお金を稼ぐ仕組みを作らない限り、永遠に続く。

たとえ年収が一億円になっても、自由を死ぬまで謳歌するには、労働が必要になる。

僕は、仕事は好きだが、しなくてもいいぐらい自由になりたい。

だって、自分の家族と一日のんびり過ごしたい日だってあるし、テニスを一日中したい日もあるし、長期間の旅行だってしたい。

そして、それは誰かが決めた枠組みや制約条件の中で工夫して実行するのではなく、
ふと、その日の朝起きたときに、そういう気分だったら実行できるようにしたい。

折角の人生を、自分の思い通りに生きられないなんて、僕は我慢ならないのだ。

多分、僕と同じ気持ちの人は少なくないはずだ。

みんな知らず知らずの内に、会社やメディアに洗脳されて、いつしか「仕方がない」と諦めていることがたくさんあるはずだ。

これを実現してくれるのが、自動的にお金を稼ぐ仕組み、つまり、自分のビジネスだ。

僕は、自分の人生を自由に生きられる人を増やしたい。

そして、まずは自分が実績を作ろうと思い、いくつかの計画を実行中である。

2. 個人の平成史の振り返り

一年ぐらい経ったら、毎年なんとなく昨年の自分と比較しているが、あまり今まで言語化してこなかった。

改めて、自分にとって平成時代がどのようなものであったか、価値観を軸にざっと振り返ろうと思う。

平成元年〜10年:あまり記憶がない。好きなことだけして生きていた。

平成11年〜12年:陸上競技と勉強にハマる。人の評価軸が「能力」になりはじめる。

平成13年〜18年:評価軸を「能力」に置いた結果、自分の首を締める。だが、根性と習慣で乗り切り、成功体験を積んでしまう。

平成19年:能力に評価軸を置いた結果、自分の無価値さに絶望する。周りがすごすぎる。アイデンティティの崩壊。

平成20年〜22年:迷走。

平成23年:就職活動の影響で論理的思考力至上主義に走る。現在とほぼ同じ思考力を手に入れるも、自分よりも「優れた」人間の存在に再度絶望。

平成24年:自分の仕事の指向性を理解しながらも、自分の素直なやりたい気持ちをおざなりにして、世間の流れ通り就職。

平成25年:会社の仕事が絶望的に楽しくない。研究やプロジェクトはあんなに楽しかったのに。同時に自分が発達障害の傾向があることが分かり始める。

平成26年:鬱のような症状が出
はじめる。ほとんど記憶がない。

平成27年:ADHDと診断を受けて気持ちが楽になる。同時に、人の個別能力を活かす重要性や、その環境を自分で選択する必要性を理解する。気持ち的にもキャリア的にも限界を感じ、転職。(最後の上司たちは快く受け入れてくださった。今でも感謝です。)

平成28年:一社目で自分が常にゴミクズ扱いされ続けた結果、自信を持てずにいたが、転職することで案外マシな人間であることに気づき、冷静に自分の価値を見つめ直せるようになる。

平成29年:自分のやりたいこと(ビジネスづくりとプログラミング)に正直に生きることを決意する。プログラミングスクールG’s Academy入学。

平成30年:スクールの仲間や環境に恵まれ、自分が自分のままでいいということを受け止められるようになる。人生のミッションの発見。

平成31年:人生のミッション開始。

令和に向けて

とりあえず、自分のやりたくないことは一切やらないことにする。

そして、毎日楽しく生きることを大切にする。仕事の速さや成果よりも、だ。

あとは、時間に対する危機感がいつもないのだけれど、のんびり生きるのもありなんじゃないかと最近思うので、その辺をもう少し模索したい。

初めて受託開発をして学んだこと

めちゃくちゃ久しぶりの更新になってしまった。

近況は改めて記事にしようと思うが、簡単にいうと、今起業とフリーランスの二足のわらじ状態になっている。

自社はちょうど登記の準備中だが、僕が大変お世話になっている先輩と一緒に勢いで作ることになった。

僕の人生はいつもこんな感じで、計画性は特になく、思いつきとノリと勢いでやってきたので、まあ、会社もそんな感じで作っちゃって丁度よかったのかもしれない。

未来のことなんて分からないし、計画なんて立てようがないのだから、今面白いと思うことだけを一生懸命やるしかないのだ。

今回は人生初の受託開発案件を通して、案件の難易度の割に予想に反していろいろと学びがあったので、書き残そうと思う。

これからフリーランスになるとか、受託開発やろうという人に少しでも参考になれば幸いだ。

概要

受託開発をする目的

  • 受託開発の実績を積むこと

  • 技術的には簡単なフロントだけのページを作ることで、受託開発の体感難易度を計測すること

案件の内容

  • 某企業様のプロダクトのLP作成

  • フロントだけで完結するページ

  • PC版とモバイル版の両方

振り返り(技術面)

よかったこと

  • 構造化が得意なことがコーディング内容に表れ、結果としてメンテナンスがしやすいコードが書けた。

  • cssで理解が曖昧だったもの(positionやアニメーション)について理解を深めることができた

  • 印刷機能やメディアクエリ、フェイスブックタグなど、新しい技術を獲得することができた

悪かったこと

  • 作っていく中で、運用が簡単になるhtmlの構成ルールが自分の中で出来ていったので、最初にコードを書いた部分の手戻りが結構発生した。

振り返り(ビジネス面)

よかったこと

  • 納期を守れた

  • 改善案の提案がいくつか出来た

  • 受託開発の流れを理解することができた

悪かったこと

  • 納期が迫るまで手がつけられず、直前に猛烈に焦って作ることになった→学生のときからの悪い癖だが、自分でやると決めたことであれば、なんだかんだ毎回なんとか出来ているので、あんまり直す必要はないかも

  • 印刷機能などの触れたことのない部分の工数の見積が甘く、スケジュールを圧迫した

    →今後、触れたことのない部分は簡単に調べて工数を把握する

  • psdファイルからコーディングへの落とし込みの部分で、仕様の確認を怠り手戻りが発生した

    →今後は丁寧に確認する

学び

技術面

  • ヘッダーやフッターなどの修正が入った時、ページすべてに修正をかけるのがしんどい。Viewを扱うフレームワークがいかに便利か分かった。

  • cssなどを生のコードで管理するのが面倒だということに気づき、タスクランナーの重要性が分かった(今回はgulpを簡単に導入)

ビジネス面

  • 今回のような誰でもできる仕事は付加価値が小さく、とても収益性が悪い。今後は自分の高度な思考力が活かされる付加価値の高い仕事をする。

  • フリーランスは会社の仕事と違って、一度やってみてできるようになったら、それはもう二度とやらないで次に進むという選択ができるので、新しいスキルを身につける効率がよい。(ただし、それはスキルが足りずに炎上するというリスクと引き換えのメリットでもある)

総括

受託をやっていると、世の中に対して思考する時間が減ってしまいが
ち。

足元のキャッシュを稼ぐことも必要だが、自分のビジネスの優先順位を下げずにコントロールしていきたい。

あと、もはやこれは確信だが、昔から疑問に思っていた、企業が採用広報なんかでよく言う「成長」というやつ。

もしビジネスパーソンとしての成長がしたいなら、自分でやることに勝る成長方法はないと思う。

そんなに人を成長させたいのなら、起業しろって言うべきじゃないだろうか。

G’s Academyのデモデーで惨敗した原因を考えてみた

多分、相当悔しかったのだろう。

僕は自分がなぜ負けたのか、
気づいたら今日もずっと考えていた。
ネクストアクションが明確に決まるまで、
僕は前に進めないと思って、結局文章にすることにした。
別に勝ち負けじゃないことは分かっている。
でも、どんなに統計が怪しくても、
あそこでスティーブ・ジョブズがプレゼンテーションすれば、
確実に僕よりは評価が高くなるように、
圧倒的な差に関しては検定するまでもなく有意差がある。
僕はあそこで圧倒的な差で負けたのだ。
そして考えてみた。
何がいけなかったのか。
そして一つ、決定的に僕に欠如していたことが分かった。
それは、思いやりだ。
あの日僕がしたのは、独りよがりなプレゼンテーションだった。
観る人のことを考えたストーリーになっていなかった。
学生の頃、プレゼンテーションが上手くなりたくて、本を沢山読んだ。
社会人になって、ドキュメンテーションも勉強して、
綺麗なスライドが作れるようにもなった。
今回も、全ての部品に意図があるように、
教科書通りの構成、配色、レイアウト、フォントサイズで作った。
意味のないパーツは何一つなかった。
説明の文言も論理的に、
無駄を排除して出来るだけ意味の凝縮された言葉を選択した。
多分、スライドやプレゼンテーションの分かりやすさの勝負だったら、
結構いい順位だっただろう。
でも、僕は敗北した。
当たり前だ。
いつの間にか、肝心な人の心を置き去りにしてしまっていたのだ。
僕のプレゼンテーションは、
ただの分かりやすい説明の域を抜けなかった。
すると、聴き手のフィードバックは、必ずこうなる。
「分かりやすかった。けど、まあ、そうだよね。」
面白かった、感動した、楽しかった、みたいなポジティブな感情はそこにはない。
丁度、新しいフレームワークを覚えるのと同じで、新しい知識みたいなものがちょっと増えただけだ。
そんなにつまらない時間はないだろう。
じゃあ、僕はどうすればいいのだろうか。
思いやりを持つと言っても、難しい。
結局それは、相手のことを考えよう、とか、楽しませよう、
という無理難題の言い換えだ。
残念ながら、僕には、
そうした人の心を動かす話し方みたいなセンスは皆無だ。
人を惹きつけるオーラみたいなものもない。
そう、僕にはいつだって、これしかやり方がなかった。
勉強する。そして実践する。
僕は人の感情を想像する能力が低くて、何の戦略もなしに人とコミュニケーションしても、いつもただの説明にしかならない。
空気も読めなければ、笑いを取るセンスもない。
だから、それらの理論を勉強するのだ。
ものごとには必ずパターンがあって、それを駆使すればある程度のレベルには必ずなれる。
センスがないものはスキルで補うしかない。
コミュニケーションですらそうだ。
人の感情が分からない僕は、常にパターン学習で乗り越えてきた。
僕は昔からそうやってきた。
そして、僕の悪い癖は、ある程度分かった気になると、
その領域を勉強しなくなることだ。
プレゼンテーションなんて、まともに勉強してから、もう五年は経っている。
忘れていることも沢山あるだろうし、
今だからこそ分かることもあるだろう。
勉強をサボると地獄を見ることがまたよく分かって、僕にとっていい薬だった。
次の投資家向けのピッチでは、同じ轍は踏まない。

【G’s Academy LABコース体験記】卒業後記

先日、G’s Academyを卒業した。

半年前、プログラミングが出来る起業家になりたくて、ここに来た。

他のプログラミング教室じゃなくて、G’sを選んだのは、
僕はエンジニアでもなく、フリーランスでもなく、
プログラミングのできる起業家になりたかったからだ。

そして、今振り返ると、僕の選択はやっぱり間違っていなかったな、と思う。

人はよく未来を見誤るけれど、その最たる例が、時間経過に伴う成長を計算に入れ忘れることだ。

今でも忘れないが、僕がG’sに入ると言ったとき、ある人にやんわりと否定され、その根拠の一つが競合のTech Campとの比較で、それはとりわけエンジニア就職の実績についてだった。

確かに、G’sは設立してからまだ浅いが、僕はG’sだけは特殊だし、自分の目的に合致するという妙な確信があった。

そもそも別に僕はプログラミングスキルの獲得だけが目的じゃなかったのだ。

そして半年経過した今、案の定、僕の選択の方が正しかったことが分かった。

G’sは卒業生が起業家としてどんどん実績を作り始めているし、僕達もいずれそうなるだろうし、コミュニティとしてもっと成長するだろう。

一方、Tech Campは起業家というよりフリーランスの方に舵を切っている。

(別にどっちが良い悪いではなく、
どっちが自分の目的に合致していたかどうか、という意味で正しかった)

さて、前置きが長くなってしまったが、
この半年間には、僕の期待を超えて得たことが沢山あった。

これについて、半年を振り返って、今後のためにここに残す。

僕がここで得たことは、以下の問いに対する自分なりの答えだ。

  • 起業するとは何か

  • 自分の頭の良さとは何か

  • コミュニティに所属するとはどういうことか

順番にどういうことか、説明をする。

起業するとは何か

起業とは、僕にとっては単純に一つのライフスタイルだということが分かった。

僕は起業は何かしら、とても大掛かりなことで、すごいことのように思っていたが、

ファイナンス、リーガル、開発、事業計画など、一つ一つを見ていけば、

結局自分で何か新しいことを始めることのそれ以上でもそれ以下でもないことが分かった。

別に起業することが偉いわけでもないし、すごい訳でもない。

そして、それが成功に繋がったとしても、別に偉いわけでもすごい訳でもない。

人生は人の数だけあるし
、それが良かったかどうかを決めるのは死に際の自分だ。

じゃあ、なぜやるのか?

「やりたいから。」

それだけ理由があれば十分なのだ。

これは、単に自分が目標とすることにどれだけ近づけるかという自分との戦いだ。

また、起業とは、おせっかいである。

別に自分が頑張ってやらなくても、世の中はそれなりに上手く回っていくし、いつか誰かがやってくれる。じゃあ、なぜやるのか?

これも、「やりたいから。」

何かをやりたくてやっているだけだ。

とどのつまり、自分が何かをしたい、実現したいという気持ちを満足させるため、その手段として起業をする。

今日カレーを食べたいからカレー屋に行くのと何も変わらないのだ。

これはライフスタイルの他の何ものでもない。

そして、それをやるのは、自分がそれに価値があると信じているからだ。

自分の頭の良さとは何か

僕は同期の中で「頭がいい」と言われることが多かった。

まあ、確かに昔お勉強は出来たが、頭がいいってなんだろうと改めて考えてみた。

社会人になって、嫌というほど「あの人は頭がいい」という言葉を聞いてきたが、そんなことは文脈で簡単に意味が変わるし、実際様々な場面で聞く言葉だ。

そこで、自分の長所としての「頭の良さ」を正しく認識することで、自分の役割というのが明確になると考え、少し深く考察することにした。

それで、結論を言うと、どうも僕の頭のよさというのは、

  • 情報処理能力の高さ

  • 視覚情報や概念の言語化の速さ

と言い換えることができそうだということが分かった。

もう少し詳しく言うと、知識として比較的色んな分野のことを知っていて、かつそれらを汎用性の高いフレームワークに昇華して整理していることが多いので、思考のショートカットが多く、アウトプットが人よりも速いということだ。

まあ、ちょっと性能のいいCPUみたいな感じだろうか。

だからどうということではないが、とりあえず変な勘違いをすることは今後ないだろう。

例えば、情報処理能力が高いからといって人付き合いが上手いわけでもなければ、ビジネスを成功させる確度が高くなるわけでもない。

中立的なニュアンスで情報処理が世の中の多くの人よりも速い。だから、それ相応の役割を果たすと世の中のためになりそう。

ただ、それだけのことだ。

コミュニティに所属するとはどういうことか

これが最大の学びだ。今のタイミングで知ることができて本当に良かった。

今まで様々なコミュニティは所属してきたが、イマイチ自分が所属意識が高い組織に巡り会えて来なかった。

だから昔、会社なんかで「みんなのために」とか「会社のために」とか聞くと、正直気持ち悪いと思っていたし、内心「嘘つけ」と思っていた。

だけど、自分も気づけばG’sに対して同じ想いを持っていた。

それに気づいたのは、G’sのイベントに来たお客さんに「受付どこですか?」と聞かれたときに、ただのイチ「受講生」の自分が、G’sスタッフとしての対応を無意識にしたときだった。

他のコミュニティだったら、

「あ、僕スタッフじゃないです」

とか言っていただろう。

これは、僕のG’sへの所属意識が高いことの証左だ。

自分の発言で、コミュニティの「中の人」になっている自分を初めて認識し、「ああ、僕の居場所はここで、ここが好きなんだな」と気づくことができた。

コミュニティという概念は当然昔から知っていたし、どういう作用をするものかも知っていた。

だけど、自分が中の人間になることで、その理解はより深まった。

そのおかげで、これからの世界で「複数の経済圏やコミュニティに所属するのが当たり前になる」ということや、「会社という組織が前時代のものになり、コミュニティを基盤にビジネスをするようになる」ということが、具体的にどういう現象なのかをより現実味を持ってイメージすることが出来るようになった。

間違いなく、この理解は今後の僕のビジネスパーソンとしてのキャリアに大きく影響を与えるだろう。

そして、何よりこの僕が愛するこのG’sというコミュニティは、僕にとって一生モノの財産だ。

かげがえのない友人や仲間、師、そしてこれから入ってくるメンバーたち。

これからもずっと繋がっていたいと思う。

最後に

G’sで過ごした半年は、正直反省点が多かった。

だけど、僕の人生としては、最高に幸せな時間だった。

僕と関わってくれた皆さんに、
コミュニティに所属する幸せを教えてくれたことを、
心から感謝したい。

ありがとう。


そして、今日僕は、これからの残りの人生の初日を迎える。

また新しい一歩を踏み出そう。

今度こそ、自分に負けないように。

効率よく学習するためには、自分の得意な情報処理系統を知るべきだ

知識や経験よりも、新しいことをいかに速く習得出来るかが重要だと言われるようになって久しい。

さて、誰もが悩んでいるその学習方法についてだが、
プログラミングを勉強する中で一つ新しい知見を得たので、
久々に書き起こそうと思う。

様々な学習ツール

Webが発達してからというもの、学習方法は多様化している。

従来は

  • 教室受講

  • 書籍

ぐらいしかなかったが、

  • 動画型学習ツール(例:Udemy)

  • 音声配信型学習ツール(例:Febe)

  • インタラクティブ型学習ツール(例:Progate)

などがある。

僕が日頃からよく言っているように、
こうした選択肢の多様化は歓迎するべきだが、
使いこなすリテラシーがなければ、

ールに振り回されかねない

じゃあ、どうやって使いこなすべきか。

人によって異なる情報処理系統

この記事でも書いたことがあるが、
人によって自分が得意な情報処理系統がある。

僕は視覚が極めて優位なため、
音声による情報処理が非常に苦手だ。

ここから自明なのは、
その得意な情報処理系統を使う学習方法を選択するべきだということだ。

学習方法を誤って選択したらどうなったか

それで、ここ最近はUdemyでReactという
Webプログラミングのライブラリを勉強していたのだが、
これがまあびっくりするぐらい頭に入らない。

目の前でコードを実際に書いてくれるのはいいが、
肝心のその内容や目的の説明が全部僕が苦手な聴覚で入ってくるので、
全く理解が追いつかない。

しかし、書籍で同じ内容を読むと、
面白いぐらいにすぐに理解できる。

書籍は僕の得意な視覚情報しかない上、
自分の必要な部分を選択して学習できるので、
理解のペースが乱されることがないからだ。

こうして、書籍で理解することのほうが圧倒的に早いことに気づき、
これは由々しき事態だと思い、筆を執ったのだ。

効率のよい学習には、自分の得意な情報処理系統に合った方法を選択するべきだ

タイトルにもある通りだが、この反省から僕はできるだけ書籍で勉強しようと思う。

【G’s Academy LABコース体験記】180112

年末から年始にかけてチーム開発を行っていたが、
その間一切の更新をサボってしまったため、
もはや何日目か分からない。

一旦、日付対応することにした。

今日はアルゴリズム論最終回。
改めて講師は株式会社キカガクの吉崎さん。

以下は今回Pythonやりながら学んだこと。
箇条書きにて。

コメントの書き方

関数の機能ではなく、引数が何か、アウトプットが何か

# add(a, b)
# input:
# a <- list
# b <- list
# output:
# c <- list
# -----
# example
# a = [1, 2, 3]
# b = [4, 5, 6]
# c = add(a, b)
# c -> [5, 7, 9]

機械学習実装の難しいこと

  • コツは、精度が見えなくても一旦リリースしてしまうこと。
  • 組めるものと使うものは別である
  • 実装でpythonを使ってしまうと、人件費が高くなる
  • (一方Railsは若くて安いエンジニアが雇える)
  • 引き継ぎのコスト
  • 対応策で、Web API部分だけPythonを噛ませたりして、他はRailsを使うとか。
  • 環境構築なんかでスキルセットが必要になるので、大変であることは覚えておくこと。

関数化するタイミング

  • パッと見て分かるときはしない
  • 可読性を失っているときに行う

【G’s Academy LABコース体験記】34日目

先週金曜日の分。

今回もアルゴリズム。
先週金曜日の続きで、引き続き講師は吉崎さん。
Pythonで簡単な関数の復習をいくつかやった後、
ファイル圧縮のアルゴリズムを考える課題をやった。
00000111001111
みたいな0と1の羅列がコンピュータの扱えるファイルの形になるが、
これの規則性を見抜けばもう少し短く書けるよね、という話。
例えば前述の例だと、
0が5つ、1が3つ、0が2つ、1が4つなので、仮に0をa、1をzとすると、
a5z3a2z4
と書けば短くなる。
これを一番短くする方法を考えようというのが今回のお題。
こういうパズル的なのは小学校の算数とかで好きでよくやっていたので、
個人的にはかなり楽しかった。
ちなみに先生の解答がやはり最短で、
自分のコードには普段から気づいてないだけで改善の余地がたくさんあることを思い知らされた。
最近、あまりプログラムの問題を解いていないことに問題を感じているので、
毎日30分でcode warsかpaizaなんかの問題を解いていこうと思う。